タイトルの元になった「世界の中心で愛を叫ぶ」懐かしいですね。
さて「人生って何だ?」とか「人はどう生きたらいいのか?」とか、そういう疑問が頭をよぎった人というのは、少なからずおられると思います。「人生は修行である」とか「人生は暇つぶしだ」など、色々な呼ばれ方もします。「一人一人、人生の意義なんて違う」と仰る人もいます。
では、本当の答えは?
僕は、人類の中で最も叡智があるトップ社会(世界の中心)で「人生とは?」にどう答えを出しているのかを学んだので、皆さんにもシェアします。世界の中心はどう解釈しているのか?ということですね。
まず、人は、この3次元の世界を体験するために生まれてきます。まるで人生ゲームをするように楽しみにきたと言ってもいいでしょう。しかし、ゲームには困難がつきものです。そこで、生まれてきてから全ての人が7歳までに心のトラウマというものを作ります。そう簡単には、人生ゲームをクリアさせないぞ、と言わんばかりですね。
そのトラウマは裏を返せば才能でもあります。ある人は、人と接することにトラウマを持ったとします。しかし、そのおかげで一人部屋にこもり、何かしら偉大な研究を成し遂げて成功し、幸せになる人もいます。つまりトラウマというのは、それをネガティブに抱え苦しむのか、幸せなビジョンにいい風に利用するのか、それによって闇にも才能にもなります。
その話はさておき、全ての人は心のトラウマを作りますが、それを抱えながら人生の中で、どうビジョンに向けて立ち回っていくのか?ゲームのレベルアップと同じで成長し進化していく、というのがどの人も人生の中で抱いてる使命です。
それは、この地球という星の振動自体が全てが進化していく方向に回っているため、その上に乗ってる私達も共に進化していく必要があります。進化論でも、途中で進化をやめた生物は、絶滅したり、地球上にとどまることができません。
では、成長とはそもそも何か?と言ったら「自分の苦を楽にする」ことです。
人は、幼い頃に自分の力では何もできない状態です。
力もなく、体重も軽く、身長も低く、物理的に自分で何かをするには困難な状況です。そこで、物理的に成長し、自分の力で色々とできる成人になります。物理的な苦を楽にしようとするわけです。
では、そうなったとして、次の成長は何かと言うと「物理的にどうにもならない状況になったら、どうするの?」という問いが訪れます。物理的にどうにもならない状況の中で、どのように成長するのか?というステージに移ります。(正確には、子供の頃からこの成長ステージも並行して存在しています)
例えば、人間は、年を重ねると物理的には衰えていきますが「では物理的に衰える中で、あなたは、次にどんな優れた方法で進化していくのか?」という段階に入るわけです。
つまり、その中では、「自分の力でやってやろう」と独りよがりで生きてる状況から「周囲の人の力を借りるには、どうすればいいのか?」または、「万物のをどのように利用するのか?」と、自分の力のちっぽけさに気づき、自力から他力に移行していく 、そのようなテコの原理を身につけていくことが必要です。
そうしなければ、およそ30代~40代ぐらいの間に、自分の無力感に押しつぶされたり、できない自分を責めたり、プライドに埋もれたり、進化の限界が来ます。どこかで自分の限界を認めることが必要です。
そのため、他者の存在を尊重し、自分には持っていない叡智を持ってる方や、または細かいことさえも他者の力を借りるということを覚えてく必要があります。そんな「弱い自分を許可する」「何もできない自分を愛する」そのようにして、苦を楽にする成長段階がいるわけです。
「自分と違う価値観を持つ他者」を受け入れるキャパシティが育ち、他者と戦う必要もなくなります。戦いがなくなるということは、自分の思考の中に平和も訪れるわけです。「許容する」ということで「執着を手放す」ことができ、相手の存在を認めることもできる。存在を認めるというのは、ただ存在するだけで愛することに繋がりますから、ここで「無条件の愛」を持てる段階になります。
もちろん「平和で穏やかに、粛々とおとなしく生きなさい」と言ってるわけではありません。このようにして、なんの障害も問題もないなら、楽しみをトッピングするのは自由にできます。人生をどのように着色するのか、彩るのか、どんな楽しいパーツを並べるのかというのはあなたの自由です。
最終的に言いたいのは、「苦を楽にする」のが人生であるということです。苦が苦のままにあると、ネガティブな人生になりますが、それではあなたも周囲も誰も幸せになりません。ネガティブを捨て楽に生きよう、そのための技を身に着けることです。僕にとってBPMが正にそれでした。