前回、「常識外の体験をしよう」という裏ログを書きましたが、僕がBPMを知った衝撃は、それはそれは人生で比較するものが見当たらないほど衝撃的なものでした。まるで、毎日が魔法に変わるのですが、今日は、魔法というものについて書きましょう。

 

例えば、映画やドラマで魔法みたいなものが出てくることは、よくありますね。「物語の中は魔法使いだらけ」といっても過言ではありません。

僕も、先日、u-nextでドクター・ストレンジのマルチバースなんちゃら、という映画を見てとても面白かった。
手で魔法陣を描き、異次元に移動したりもするわけですが、例えばそういう映画を見て「こんなこと有り得ないじゃないか!」と怒る人はいないと思います。面白いなーと思って眺めてると思います。ハリーポッターとかを見ても「こんなあり得ない描写ばかりして、インチキだ」という人もいない皆、楽しんでるはずです。

ここで、ふと気づかないといけないことがあって、「私たちは、なぜそれらの映画に描かれている魔法を受け入れることができるのか?」という疑問です。もし私たちの脳の認識に、そういった魔法みたいな感覚がないのであれば、そんな映画を作ることもできないし、見たところで箸にも棒にも引っかからないくらいピンとこないはずなのです。

 

しかし、私達は受け入れています。ということは、魔法という感覚とか魔法というものに対して「許容する無意識」が人間は持っているのではないか、ということになります。

 

では、ここで世界観を太陽系ぐらいに広げて見ましょう。火星とか金星とか、他の星から地球を眺めて見ましょう。すると私達の住む世界そのものが魔法みたいなものなんです。宇宙という広い中に地球という星があって、そこは緑豊かで水も豊富で、何万種もの生物がいて、その中に人間というものがこれだけの文明を構築しながら生きてる・・・ということは、他の星から見たら驚くべきことで、外から見たら私達はまるで魔法使いのように見えるかもしれません。

それなのに「そんな魔法なんてありえない」と思って生きる人生はもったいないですね。他の全ての太陽系の惑星からみて魔法使いなのに、当の本人が「魔法なんてありえませんよ」と言ってたら何を言ってるんだってなります。

 

今日、言いたいことは何かというと「人は魔法みたいなことを起こせる」ということです。もちろん、3次元の物理的な空間に生きてますから、3次元の整合性(矛盾のない繋がり)を保ちながらですが、しかし、3次元の整合性は意外といちゃもんの様に繋げられるものです。

 

作家の村上春樹さんは、著書「職業としての小説家」の中でこんなことを書かれています。セントラルリーグの開幕戦でヤクルトとカープの試合を見に行きましたと、そしてある選手が二塁打を放ちました。以下、著書より抜粋、

 

『バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。ぱらぱらと言うまばらな拍手がまわりから起こりました。僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。』(村上春樹著/「職業としての小説家」より抜粋)

 

その後、最初に書かれた「風の詩を聴け」で群青の新人賞を取られたのは有名な話です。上に書いた小説家になろうと思ったときの描写には、驚くほど理屈がないのです。まさに何の脈絡もありません。しかし、これこそが本当の人生です。目の前で起きている現実がそこにあるのに、突然、ふと「違う道筋の扉が現れる」のです。

なぜ、これを本当の人生と呼ぶのかというと、私達は、日頃の習慣、自分の周囲、昨日から続いた今日という延長線上の「付き合い」の中にいます。その中で個は、埋没します。目の前の状況に合わせる自分がそこにいて、周囲に捉われた自分がそこにいて、個として存在する自分がそこにはいません。それは「自分の人生」とは言えません。恐らく、村上春樹さんも、周囲といっしょにまばらな拍手に付き合っていたら「小説が書けるかもしれない」とは思わなかったはずです。
 
自分の現実を変えたいならポンと縛られた空間から逸脱し、その空間に、脈絡のない扉が現れることを許可する必要があります。何かしらの事を成し遂げた方達は、そういう体験を多かれ少なかれしています。このように人間は魔法が使えますよと言いたいですが、実際は、魔法の空間にそもそもいるんですよ、という話です。

実際に皆さんも体験していることです。


例えば、「遠足の日の朝、雨が降っていて、やだなーと思っていたら急に晴れだした」とか、逆に「台風で明日、学校が休みになるかもしれない!と思っていたのに朝になったら台風がどっかに行っていた」とか、「もう絶対に間に合わないと思った電車に乗れた」とか、そんな事でも構いません。

「欲しいと思っていたものが急に手に入った」とか「好きなアイドルのチケットに偶然あたった」とか「スポーツで奇跡的な大逆転をした」とか「片思いだった人と、突然、距離が縮まった」など、さっきまであり得なかったことが突然ポンと現れていることが実際にあります。しかし、比較的、まだ常識や周囲に合わせている人は、3次元的整合性(つまり、偶然にもあり得るかもしれないな・・・という脳が理解できる範囲)にとどまるわけです。そうすると、村上春樹さんは、3次元的整合性を跳躍しています。このような跳躍ができる、自分が許可した自由度が、人生に起こる魔法の度合いの違いです。

 

そして世界資産家のような、もっと成し遂げる人というのは、このような脈絡のない扉が、毎日、現れるものなのです。(つづく)

一芸が百芸に通じるというのは本当だと思います。
何かの分野で常識的レベルを超えて、型破りに超越した人というのは、他の分野においてもその域に至ることはあり得る話です。

 

人の成長プロセスとして、まずは常識的なレベルに熟すことは必要です。そして、次に「自分の常識では信じられない体験」をしたかどうか?…が次のステップの成長プロセスには必要なのです。

 

僕は整体師の頃、修行を積んで一通りの手技を覚え、そして独立して整体院を開きました。独立するというのは、まっとうな施術が提供できるからであり、それなりに一人前になったからです。勝算なく開業する人間はいません。
 

そして僕は、まっとうな施術を行い、まっとうな生活を手にしていました。

 

しかし、独立して1年半が経った時、朝、車に乗り込もうとした、そのなんの変哲もない日常のさなかに、ふと「つまらないなぁ」と思ってしまったのです。

 

この分かり切った常識の中で、自分は生きるんだろうか?自分のわかりきった範囲で生きることは、つまらないことだと僕は思うのです。

 

そう思うと、自分の理解の及ばないものを求めてしまいます。


そして当時、何の引き寄せか、僕の整体の師匠に出会うことになりました。もちろん、その方は世界資産家でも何でもなく、しかし整体にかけてはゴッドハンドの先生でした。75歳ぐらいで、患者にほとんど触れずに痛みを取ってしまう人だった。そういう人が実在することが、この先生に出会って初めて知ったのです。

 

僕は、その先生に整体を習ってみようと思い、遠路はるばる僅か3日くらいの合宿に初参加してみました。


そんなすごい先生なので、先生の周囲には、ご年配の方も沢山、前から学んでる弟子もたくさんいおられました。僕は、誰も知り合いがおらず隅っこの方で、その先生が実際に、人に触れずに痛みを取る様子を見ていました。

 

簡単に言うと、その先生は「自分の意識で患者の体も変わる」と言って、次から次に合宿に参加する人を自分の前に呼んでは、目の前でバカバカと身体を変えていくのです。所要時間1分ほどで。

先生の前に立った人は、痛みが取れたり、目に見えて体が柔らかくなったり、動かなかった関節が動くようになったりします。そんなのを見せると、自分の常識しか信じられない人は、インチキだと言って帰りそうに思えますが、先生からすれば、こんなのは当たり前だという感じです。

 

僕は、何をやってるのか?どうしてそうなるのか?信じられない光景の展開が面白くて笑いがこみ上げてしまい、少しひんしゅくを買いました。

 

さらに面白いのは、手も触れずに人の痛みを取るので、お弟子さんも先生が何をやってるのかわからず「うーん」と首をかしげる様子です。

 

僕も思い切って「なんで痛みが取れるのですか?」と質問してみると「いま見たでしょう?こうしたら取れるんだよ」とまた技を見せられる。昔ながらの、「見て盗め」という先生です。

 

一同が首をかしげる中、先生は「わかったと思えば、わかるんだよ」と言われて、じゃあ、分かったと思うようにしようと僕は思いました。頭では全く理解できないが、どんな感覚で施術をしているのか僕は3日間眺めることにしたのです。

 

学びが終わり最後に参加者が一人一人が感想言うシーンがあって、僕は、「先生が何をやってるかわかりませんでしたが、でもなんとなくわかった気がします」と言われた通りに「分かった」と言ってみました。


すると長年その先生に学んでいる先輩達から「そんなわずかな期間で分かるはずがない!」と罵声を浴び、ひんしゅくを買いました。まあいいやと、一人でまた自分の院にすごすごと戻っていきました。

 

そして、翌日、自分の患者に施術をする時に、その先生に学んだ体に触れない施術を患者に許可をもらい実践してみたのです。「確かこんな感覚でやってたよな~」と、真似してみたら患者の痛みが取れてしまいました。

僕も患者も手も触れずに痛みが取れるので、狐につままれたようになりました。


また次の患者にも、感覚でやってみたら、ずっと取れなかった痛みがまた取れてしまった。思えば、それが人生の中で「自分の常識という線を超越してしまった最初の瞬間」だったと思います。自分の理解の外で現象が起きているのですから。

 

なぜ、良くなるのか分からない。頭が完全に置いてけぼりになりました。頭で理解してないのに感覚的にできてしまうのです。


患者から「どうしてこれで痛みが取れるのですか?」と聞かれても答えられないし、その整体の師匠も「見たでしょ?」と仰るわけですので、何が起きているのかそれから毎日、その説明がつかない現象を、本に埋もれて調べることになりました。2010年~2013年頃の話です。

 

このようにして、進化の過程では「常識的なことができた後、次はその常識を越えた体験に足を踏み出すかどうか?」が問われます。面白い人生を満喫するには、その先で起こる「信じられない体験」に出会うことです。

 

知識というのは常識でしかない。それは非常につまらないものです。常識で語れない世界があって、この世界はドラマや映画以上にファンタジーなのです。

子供の頃からの記憶が、今の自分にも多大に影響しているということを知ると、過去に浸るわけではなく、まるで過去の自分の体験に宝探しに行くような感覚で過去のことを思い出すことがある。

 

今まで過去にした体験が辛い思い出だったとしても大人になって遡って、あらゆる体験を宝に書き換えることができます。一種のタイムワープ的、過去の修正技術とでもいいましょう。今まで歩んできた道を、いばらの道から、金の道に変えることができるってことです。そうすると脳の認識が変わり、現在の自分も変わるという、リアルバックトゥザフューチャーです。

 

僕は子供の頃に良い記憶が多いのかと言うと必ずしもそうではなく。幸せだったと言えるのは「普通に家族がいた」ということでした。

 

僕は、小学生の頃、転校して4つの小学校に通いました。だから幼稚園の頃から一緒だという幼馴染というものはなく、新しい小学校に行っても当然「幼い頃からの友人」に出会えることもなく、希薄な友人関係の中に過ごしていたと思います。もちろん仲の良い友人は今もおりますが「お互い無事に生きていたらそれでいい」というくらいドライな付き合いでもあります。

 

さて、幼い頃をタイムワープすると、なぜ自分がこの仕事に就いたのか?ということも明るみになります。僕は整体師になったのですが「なぜ整体師になったのか?」その経歴を具体的に遡ると

・・・

 

小学3年生のゴールデンウィークに母の親戚のいる九州まで遊びに行くことになりました。当時、僕は福島県におり予算の都合上、飛行機ではなく今はない寝台車に乗り列車での長旅でした。

 

その長旅の途中に退屈だろうと父が買ってくれた漫画雑誌があり、普段雑誌など買い与えられてなかった僕は漫画雑誌の中の連載漫画がほとんど話が分からない。唯一、目を引いたのが、なぜか再掲載されていた手塚治虫のブラックジャックでした。

 

その話が、特別面白かったかどうか定かではなく、唯一読めるという理由と、普段とは違う旅行中の楽しさから、僕は「ブラック・ジャックが好き」と認識をしたのです。旅行から帰ってからも、その旅の楽しさを再度かみしめるように、ブラック・ジャックを読むようになりました。

 

そして、母が医療補助のパート(後に看護師になるのだが)で病院に勤務しており「医者というのはいい仕事だよ」と言ったのを聞いて、僕はまんまと「医者になりたい」と思うようになったのでした。こうして分析的に自分の人生を眺めることをよくします。

 

しかし、残念ながら学力が足りませんでした。理由は、学校の勉強がつまらなかったという単純な理由です。つまらない理由は「先生の説明が分からないから」でした。教科書も先生の話も、どうしてここまで悪質的に分かりにくいのか?と、子供の頃から思いました。

 

この想いは、現在、僕がいま仕事としてBPM講師をしたり、文章を書いたりするときの説明の分かりやすさに繋がっています。僕自身が頭が悪いので、分かりにくい説明だと分からないのです。

 

さて、その後、会社の就職が決まると同時に「整体師という民間療法だったら今からでも認可が取れるかもしれない」と分かり、それによって強引に整体師の道に進んだのでした。

 

今となって、世界資産家の恩師から教わった個性鑑定学によって、僕の生まれ持った性質は、治療やセラピーに携わる事が使命として持っていたことが分かり、誰が導いているのか人生はよくできていると唸ります。ちなみに現在、世界資産家の恩師に頂いたニックネームは「ブラック・ジャック」です。

 

生きている中で出会うものは、必ず何かしら意味があって、自分の運命や使命を示唆するサインに出会っている、それが人生構造上、日常に起きていることです。しかし、その分析法があるとないのとでは、味わい深さは全く違います。

 

20代や30代の頃、アクションをたくさん起こすほど色んな体験を積み重ねることができ、それが肥しとなります。僕は30代後半でBPMに出会い、人生の絡まりを解き明かす技法を得たので、積み上げたものを鑑賞しながら宝に変える技に出会い、あの時の体験のつじつまが後から分析でき、これはもう普通の人生の味わい深さの比じゃありません☆(つづく)

この裏ログというのは、もともと労働者社会で生きてきた人間が世界資産家と出会って人生が180度変わったと。ではその人間が、日頃どうように生きているのか?ということを綴ってみようと思って開設しました。

 

生まれも育ちも労働者社会だった人間が、世界資産家の教育を受けてパラレルワールド的に世界が変わるという特殊体験をしたわけです。そんな稀有な体験が、前途を悩む若い方や同年代の方など、少しでも役に立てばと思い、着の身着のままも記載することにしました。

 

内容に共感するかしないか、ジャッジメントだけで見るよりも、ご自身のビジョンや目的に合わせて栄養にしてもらえたら幸いです。