Book Japan Blog


国書刊行会から、とっても濃そうな一冊。実際に読んだら、ホントに濃かった、トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』。
治安が乱れ、食料も燃料も不足し、社会不安が蔓延する近未来のアメリカ(ほぼ現在)における、ひとりの男ダニエルの少年時代からの物語。波瀾万丈の生涯を送るダニエルだが、彼の願いは子供の頃からまったく変わっていない。それは「翔ぶ」ということだ。
これ、アメリカも日本もまったく変わらないと思うが、子供時代に「飛ぶ」ことを夢に見ない、とくに男の子っているだろうか(ちなみにオレは、パーマンとフライマンと何度も夢で飛んでいる。なんで基本ギャグなんだか、そこがちょっと悲しいぞ)。

その「飛ぶ」を「翔ぶ」として国家規模で承認し、そこにアメリカの病的なまでの自由への希求、愛と夢と希望までを託した。これが『歌の翼に』の背骨。読めば早々にはっきりするのだが、「翔ぶ」とは幽体離脱である。これを自ら歌うことによって得られる精神の高揚と機械的なメカニズムにより実現する、というわけ。
そんなばかな、と思ってしまうが、そこにリアリティをもたらすトマス・M・ディッシュの丹念な描写の力業はまさに第一級だ。

さらに背骨への肉付けもてんこ盛りである。
SF的な基本設定の上で、ダニエルの芸術家としての成長物語であり、全面的にではないがゲイ小説としての側面もある。さらに親子の対立、金持ちと貧乏人の身もふたもない格差、指導者層のための維持装置としての国家、そしてなんといっても果てしのないキリスト教論争…。これでもかのアメリカがぶち込まれている。

これらが、メインストーリーに迫るボリュームと綿密さで、ときに哲学的に語られるのだ。その濃さをわかっていただけるだろう。昨年刊行された、かのリチャード・パワーズのスーパー大傑作『われらが歌う時』の主役ジョナは、クラシックの声楽家であった。『歌の翼に』のダニエルも、こちらの紆余曲折ぶりは比較にならない激しさだが、結局は同じ職業に就く。
その符合といかにもアメリカの物語であるということも共通しているのだが、サイドストーリーのふんだんさにおいては、『歌の翼に』が上回っている。というところで、『われらが歌う時』をお読みの人なら、かなり想像がつくのではないか。絶望度は高いです。希望と絶望の割合は、著者パワーズとディッシュの心のうち、そのままかもしれない(ディッシュは2008年に拳銃で自殺している)。

世界の経済の軸足がヨーロッパからアメリカに移ったとともに、クラシックがアメリカで興隆し1世紀近くの熟成を経て、こういった作品の誕生につながっている。その伝でいけば、次は日本と韓国、のはず。芸術の世界を舞台にした希望と絶望の絢爛たる物語を、設定は現代で。平野啓一郎でしょう、やはり。1,000頁超の血の滴るような濃いのを書いてほしいものです。おっと中国の足音も聞こえてきた。 (BJ塚本)

おすすめ本書評を満載 オンライン・ブックストア 【Book Japan】