こんな時こそ「ゆるっ」と行きましょう① ■ロング■ | ビズフル

こんな時こそ「ゆるっ」と行きましょう① ■ロング■

ジャンボ!

2011年度が始まり、1ヶ月ほど経とうとしていますね。東日本大震災の影響があったり、自粛ムードがあったりしますが、とりあえず目の前の仕事を集中してやろうという人も多いかと思います。


年度明けということで気持ちが入るのもわかりますが、いろいろと心労があったりするなか、硬くなってばかりでは疲れがたまってしまいます。



今回の年度明け「ビジネスアスリート」ロング記事では、そんな硬くなった人に向けて「ゆる~くなる」話をお届け。サラリーマンから「ゆる体操」指導員に転じ、活躍している坪山佳史さん(43)に迫りました。
ビズフル-aa ※ゆる体操指導員の坪山佳史さん(43

☆ゆる体操とは(NPO法人日本ゆる協会ホームページから部分抜粋)☆

ゆる体操を行うと、固まったからだを上手にゆるめることができます。すると体のコリや冷えがスッキリ解消し、血液や体液の循環が良くなり、深い呼吸ができるようになります。新陳代謝が活発になりますから、体が元気に、見違えるほど若返ります。心も体もリラックスしてきます。 






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■ダァラァ~~~~……



静かで温かい教室。

目を閉じ、仰向けになって、力を抜く。

10人ほどの生徒たちと同じ格好をしていると、教室に落ち着いた低く響く声が聞こえてくる。

ダァラァ~~~~~~ァァ……

「解きほぐれるようにぃ~~~…」

その言葉に誘われるように、どんどんリラックスした状態になってくる。



しばらくすると、次の声。

「肩甲骨の間をモゾモゾモゾモゾモゾモゾ」。

時には生徒も声を合わせて「モゾモゾ」とゆっくり動かす。

「手首をプラプラプラプラプラプラ…」

「首をクネクネクネクネクネクネ」。

擬態語と一緒にわかりやすい体操見本を見せる。真似するうちに、だんだんと体があたたまっていく―。



声の主は坪山さん。

NPO法人日本ゆる協会公認正指導員中級の資格を持ち、2004年から新宿区内に「神楽坂ゆる体操教室 」を開設するほどのベテラン指導員だ。教室の雰囲気を軟らかくしながら、生徒たちに「ゆる体操」を教えている。



「ゆる体操」とは、運動科学者の高岡英夫氏が、古流の武術と最新の医科学的知見をブレンドして作った体操法だ。その中身は固まったからだを上手にゆるめることで、血液などの循環を良くして、新陳代謝の活性化や心身のリラックスへとつなげるもの。


「ゆったり~ゆったり~ゆったり~~~言わなかったり~~。ゆったり言わなかったり~~」笑顔で冗談も混ぜつつ、心も体もゆるませていく。その指導歴は7年を超える。「指導員として指導するのも楽しいですし、自分もゆる体操をしていて元気になっています。それに、生徒さんたちも元気になるし、いいことづくめですよね」。



毎日、朝6時までに起き、3時間ほど「ゆる体操」と「武術」のトレーニングをし、教室に移動してから指導員として「ゆる体操」を指導。空いている時間も教室で自主的に「ゆる体操」。「ゆる体操」で始まり、「ゆる体操」で終わる日々。「教える身ですから、いつもトレーニングしています。それに、やっぱりゆる体操自体が楽しく、気持ちよくできるから、いつも取り組んでいる感じですね」。

ビズフル-111


※肘とひざを同時にクロスさせてから「オッス!」とキメる「肘ひざクロスダブルオッス体操」



■空手の段位保持者



かつては、空手の指導者だった。日本空手協会三段の段位を持ち、1994年には東日本実業団空手65kg級で3位入賞経験もある。社会人になってからも、母校の大学に通い、大学生に指導も続けてきた。



空手を始めたのは14歳。ブルース・リー主演映画を見て、武術に魅せられたのがきっかけだ。以来、千代田区にある日本空手協会の支部道場に入り、「地力をつけるのが大切」という指導のもと、地道な基本練習を積み重ねてきた。



「下半身からエネルギーがしっかりと伝わり、威力のある突きや蹴りが決まると、うれしくて・・・。」


足の裏→足首→ひざ→腰→背中→肩→腕→拳…。


捻り出した大きな力が、体の各部位をスムーズに通り、突き出した拳に伝わる。

基本練習を丹念に続けてきたから体得できた境地だ。「体が思い通りに動かせることは、本当に気持ちいい」。空手を通し、体を自在に使うことの快感、また、トレーニングを欠かさないことの意味を体感してきた。






■「カッチカチ」から、「ゆ~るゆる」へ



空手と言えば、相手と拳や足をぶつけあい、板や瓦を気合いもろとも叩き割るような、言わば「カッチカチ」の世界を想像する

それに対して、「ゆる体操」は固いところをゆるめる、「ゆる~」っとした逆の世界。



大転換のきっかけの一つは「故障」。

「空手は筋肉の瞬発力・バネが命。特に私のような小柄な人間は、体格差をスピードでカバーしなければなりません。でも、20代の終わりころから、そのスピードに体が耐えきれず、故障ばかりをするようになっていったんです。」このままのやり方では、「一生上達し続ける空手」は目指せないと感じ、体の使い方についての模索を始めたころに、現在の坪山さんのとなる、運動科学総合研究所所長・高岡英夫氏と出会った。



32歳から、高岡氏の主宰する運動科学総合研究所の講習会に参加するようになる

「当時はまだ、現在の『ゆる体操』の形では指導されておらず、より専門的なメソッドを用いた指導がされていました。今の『ゆる体操』と比べ、一般の方には少し難しく感じられるところもあったかも知れませんが、私は最初に指導を受けた時から『自分が求めていたのは、これだ!』という実感がありました。このトレーニングを行うことで、自分の体が本当に隅々から喜び、みるみる若返っていくような感じがしたんです」




■空手との決別


32歳から「ゆる」の世界転向。



「ゆる」でめざす動きを本当に自分のものとして身につけるため、これまで続けてきた空手を「封印」した。「私が取り組み始めたことは、言ってみれば、32歳から、自分の体の中に全く新しい『システム』を構築させていくというような試み。それまで空手を通して作ってきたシステムと、『ゆる』を通して作っていこうとしている新しいシステムは、共通するところもあるけどぶつかり合うところも多いため、一度まっさらにしなければ上達に支障が出ると思いました。」



14歳から18年間も続けてきた空手。

それを辞めることは、自分を作り上げていたものを切り離すことと言っても過言ではない。


「ゆる体操」に全てをかける気持ちがあった。




こんな時こそ「ゆるっ」と行きましょう② へ続く