刀鍛冶は昭和前期で時が止まった。

元々、日本刀は中世より作者の哲学の可視化と言う部分に評価があり、それを実現するには和鉄の鍛錬と言う枠からは外れれない特性がある。


スプリング刀を日本刀と認めないのは、この1点によるのである。


日本刀の根源は、作者の哲学ではなく、尊皇攘夷の官軍の儀仗刀、と言う所ですから、私は軍刀こそ材料問わず日本刀の王様だと思うが、


法律上は、美術工芸品と言う非常に細部なところにこだわるため、残念ながら多くの軍刀が破棄されている。


それはともかく、奇しくも、和鉄の鍛錬刀のみが製造、所持が許され今がある為、製法は約100年前で止まっている。

作る苦労は、100年変わっていない。機械ハンマーも100年の歴史があるのだ。

私の使う鞴は幕末のものですから、180年以上のものです。

なんせ、刀作りは100年前からほとんど変わらないため、作者には100年前の刀鍛冶と同じ感覚を求められる。


とりわけ、法整備が整った70年前からは同じであろう。

そう言う意味で、戦後から平成中頃までの刀鍛冶は、意外と稼いでいた。制作した刀、武道、美術に関わらず、良い値段で売れていましたが、


令和の私の収入はスズメの涙である。仕事内容は同じ。設備も材料も感覚も全て同じで、一振りあたりの利益は雲泥の差である。


普通は、年寄りが若者に、発達した道具や環境で仕事をしているのを見て、昔は苦労した、と言いますよね。最近は楽になったな、と。


しかし、時が止まった刀鍛冶の世界では、逆だ。

戦後から平成中期までの刀鍛冶は稼げて恵まれてましたね。お金になって楽でしたねと言えるのである。


皮肉に思えるかもしれないが、本当にそう思う。


一昔前は、帯刀していた退役将校が日本を支えていた。侍が居たのだ。

刀鍛冶に同情的だった。

今は、旧帝国軍人の方がいない。戦後生まれの人間で染まっている。

そんな中で、旧時代の精神を買って頂くためには、ご理解と意義を使える必要がある。


これからも攻めの姿勢で頑張ります。刀鍛冶に成りたい人は、ふわふわした思想では、飯が食えない。

なぜなら、理解と意義を周知するには、本人に熱い大和魂がないと誰も話を聞かないからだ。


日本刀は美しいが、それだけでは,何十万、何百万の品物は売れない。私も200万円の茶碗がどれだけ素晴らしい美術品だとしても買わない。

ウィンドウショッピングで十分だからだ。