●マサノビッチと日本の社長【その2】
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『マサノビッチのゆっくりと急いでいます。』にようこそ。
初めての方は、こちら の日記をお読みいただくと、
私の自己紹介が書いてあります。
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※この日記は昨年2006年10月27日に、mixiに掲載したものです。
お世話になっております。
久しぶりの更新ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
マサノビッチと日本の社長、第2回の社長様は、私が大学卒業後新卒で
入社した会社のT社長です。
この社長、普段はおっとりしていますが、たまにとんでもないことをいう方でした。
「自分だったら絶対言えないだろ!」ということを平気で「お客さんに言ってみて」
という人でした。
この会社は印刷とデザインの会社で、給料も安く、仕事は連日11時過ぎまで、
フレックス制度などはなく、朝9時から働きづめでした。
社長の口癖は、「朝の9時から10時が一番お客さんを捕まえやすい時間だから、
とにかく電話で御用聞きしまくれ!」でした。ですから、遅刻は厳禁、直行も
いまいち良い顔はされませんでした。
しかし、ここでの経験は後に自分のビジネスにもつながるかけがえのないものに
なったことは間違いありません。
しかも、このT社長はおっとりしながらも凄腕の営業マンでしたので、学ぶことが
非常に多かったんですね。
私がこの会社に入社して最初にやった仕事は、売上を踏み倒して逃げた会社の
社長の身辺調査でした。デザインとはまったく関係ない・・・。
その会社は登記上の住所や社名に微妙な細工をしており、所在地管轄の法務局に
行ってもまったく登記簿が見つからないという状況でした。しかし、その状況にもめげず、
なぜか私がプロジェクト(?)リーダーとなり、東京23区の法務局をすべて社員で
回った上に、その社長の自宅と見られる場所まで行って近所の人に聞き込み調査まで
行いました。
その活動が社長の目に止まり、私は当時バンド活動をしていたこともあって、
なぜか「ロック刑事(デカ)」という、デザイン業務とはまったく関係ないニックネームを
拝命することになりました。
そして、社長に気に入られた私は、入社3ヶ月という早さで当時T社長が誰にも
引き継ぎたがらなかった一番のお得意様(某大手食品メーカ:K食品)を
引き継ぐことになったのです。
しかし、印刷の知識もまったくない私は、お客さんのところに行っては怒られたり、
不審がられたりしていました。
この会社、社員研修というものがまったくなく、いきなり実践だったのです。
T社長に聞いても教えてくれません。
当時の私の武器は「若さ」と「謙虚さ」しかなく、とにかくお客さんに気に入られることが
重要だと思い、なんとかめげずにお客さんにいっぱしの営業マンとして気に入って
もらえるように尽くしました。
3ヶ月もするとだいぶなれてきて、何とか売上も順調に伸びてきました。といっても
下地は社長が10年以上つくってましたので、私が引き継いだ時点で、何もしなくても
年間3億円くらいはその会社だけで売り上げていたんですけど・・・。
仕事にだんだん慣れてくると、当然「不満」が出てきます。
当時の私は、T社長に「お前はわしの言ったとおりに動け」という、人権侵害に
近いことをいわれ、実際にそうしていました。しかし、仕事を覚えるとその「いいなり」の
状態がどうしても気に食わないようになってくるものです。
当然社長とはケンカになります(当然かどうかは微妙ですが)。
ある日、電話口で大喧嘩になりました。お客さんからの値下げ要請の件でした。
私は正直言ってそのお客さんからかなりぼったくってましたので(笑)、
値下げは応じてもよいと思っていました。実際に、かなりの頻度でリピート注文が
来ていましたし、人間関係はできていましたので、浮気されることもないだろうし、
多少の値下げは対応してもよいと考えたのです。
今思うと、私の考えが甘かったのかな、とも思いますが、結局当時はT社長が折れ、
値下げにも対応、私も「奴隷」的扱いではなくある程度自分の裁量で仕事をして良い、
ということになりました。当時の私は自信もありました。
でも、やはり甘かったんですね。その頃の自分は。
私はその件で、「会社を辞める!」とまでいいましたが、そのとき私をなだめてくれたのが、
東京支店のトップ、N支店長でした。当時、本社は名古屋で、T社長は基本的に名古屋に
いました。
N支店長から、T社長の昔話を聞いたとき、自分はまだまだ甘いということが身にしみました。
K食品は、T社長が独立する前のシール専門の印刷会社のときから、T社長が大事に
育ててきたお客さんだったのです。そして、N支店長は当時K食品の関連会社にいましたから、
そのときからT社長のことをよく知っていました。
名古屋から1週間のうち何回もK食品に通っていたそうです。まだ、仕事をもらえない
ときから、毎週毎週、K食品に行っては2時間くらいロビーでK食品の社員に御用聞きを
繰り返していたそうです。
あるとき、超特急の仕事が入りました。初仕事だったそうです。ずっと通い詰めた
甲斐があり、一回試しに使ってやろう、というK食品の人の好意でもらった仕事です。
その仕事が、超完璧だったそうです。
当時の印刷技術、特にシールの印刷技術はまだまだレベルが低く、きれいな
仕上がりは期待できないものがほとんど、色は汚いし印刷はズレるなんて当たり前、
そんな中、色も完璧、印刷のズレもまったくないシールを納品したのです。
そして奇跡が起きました。
その仕上がりを見たK食品のそれなりのポストの人が
「今のシールの仕入先を全部Tさんのところに変えろ!!」
と大号令を出したのです!
業界地図が塗り変わるがごとき大変革!これで、T社長の会社は莫大な利益を
上げることになりました。
ただ、苦労話はここでは終わりません。
なぜそこまで印刷がきれいにできたのか?最新の印刷機械があったから?違います。
確かに機械はその当時にしてはよいものを使っていたのかもしれません。しかし、
印刷の良し悪しはそれだけでは決まりません。印刷物のデータ(当時はデータでは
なく『版下』というものでした。今でもその名残でデータのことを『版下』と呼ぶことも
あります)の精度や機械を動かすオペレーターの技術が大きく左右したのです。
T社長はそれら印刷に関わる知識を猛勉強し、オペレーター以上の印刷知識、
オペレーション技術を持っていました。
そして、ちょっとでも印刷に納得がいかないと、納品する予定のシールを
すべて廃棄し、夜中だろうと工場長を呼び出し、再印刷をかけさせていたのです。
この徹底したプロ意識は、私がその後会う社長の方々の中でもトップクラス
でしょう。当然、材料代などのコストは廃棄した分にもかかっていますから、
当時のT社長のボーナスは、それらを天引きされてほとんどなかったそうです。
しかし、残念ながらこの無茶なまでのプロ意識は、社内で反感を買うことになります。
工場長やその他の工員の方々との関係が悪化したのです。見るに見かねた当時の
その会社の社長が、T社長に独立を促します。そして、暖簾わけに近い形で、T社長は
自分のクライアントを持って会社を興すのです。
その後もキャラクタービジネスをアメリカに売り込んだりと精力的に活動していました。
当時の私は「キャラクタービジネスなんてうまくいきっこない。畑が違いすぎる」と
思っていましたが、しっかりアメリカのエージェントと話をつけてきていました。
そのとき、今では当たり前のように言われている言葉ですが、
「できない理由を探すのではなく、できる方法を考える」
ということをT社長の実体験を通して教わったと思いました。
小さな体とおっとりした態度からは想像がつかないほどの頭の回転と行動力は、
私に大きな影響を与えました。
今も元気にされてるのでしょうか。
お茶目な部分ももちろん持ち合わせていましたよ。
あるとき、私が入社して3年目のときですが、名古屋の本社と東京の支店に、
税務署が同時に抜き打ち調査にきました。そのとき、T社長は
『誰も知らないドア』
から逃げたそうです。3日くらい連絡が取れなくなりました。
お茶目という言葉で片付けてよいのか不明ですが、とにかくその直後の冬の
ボーナスはびっくりするくらいよかったのを覚えています(笑)。
【後日談】
その後、事務所を構え、社員を1名入れた私の会社ですが、その際にT社長に
事務所開設案内のはがきをお送りしたところ、何も告げずにお花を贈って
くださいました。
開設案内のはがきには手落ちがあって、私の名前が載っていないのですが、
インターネットで調べてくださったのか、私のところにお花を贈ってくださったの
です。
「何も告げずに」というところが渋いというか、私にとって、社会人になって
からできた「ビジネスの父」のような方でしたので、父親らしいプレゼントの
仕方だな、と感じました。
いろいろけんかなどもしましたが、本当に感謝しています。
●マサノビッチと日本の社長【その1】
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『マサノビッチのゆっくりと急いでいます。』にようこそ。
初めての方は、こちら の日記をお読みいただくと、
私の自己紹介が書いてあります。
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※この日記は昨年2006年09月01日に、mixiに掲載したものです。
記念すべき、第1号の社長さんをご紹介したいと思います。
それは、私の父親です!
「は?」と思われた方、ちょっとお待ちください。
うちの 親父はおもしろいですよ!ハゲてて声が高いですからね。
それだけでも十分おもしろい!
社長なのに軽く『出社拒否症』になったりもしてましたしね。
それで、社長なのに休みが大好き。正月や盆休みは1週間以上休みますし、
私が小学生の頃から、夏休みや正月休みラスト1日くらいに
「あー、休みがおわるー」
などと、サラリーマンマインド全開のセリフをよくのたまってましたね。
そういえば、どんな会社か説明してませんでした。
うちの親父の会社は「家庭配置薬業」、つまり「富山の置きぐすりやさん」です。
3ヶ月にいっぺん、営業マンがきて使った分だけ集金する、という日本ぐらいでしか
到底成り立たないような商売です。
最近では、ドラッグストアやECサイトのあおりを受けて商売が厳しくなっていますが、
顧客が1万件ぐらいはあるので、私からいわせればいくらでも「やりよう」がある、
と思うのですが、そんなのは親父は聞く耳持ちません。親父もこの道30年やっている
という『自負』が良くも悪くもありますしね。
それに、私は親父の会社を継ぐつもりはありません。ひとり息子で兄弟もおりませんが、
継ぎません、たぶん。
小学生の頃から、親父は口癖のように言ってました。
「会社をやりたきゃ人様の下にいって修行して、自分で会社を作れ。俺はお前に絶対に
会社を継がせん。」
これ、一見すると「美談」ですよね。ですから、事あるごとに使わせていただいとります。
例えば、大学入試の面接のとき。筆記試験は完璧なまでに撃沈し、「どうあがいても
ムリ」といった、半ば開き直った状態で面接を受けたんですね。
そんで、面接官が親父の会社のことなんかも聞くわけですよ。
【面接官】
「じゃあ、君は将来、お父さんの会社を継ぐんだね」
【若い私】
「いいえ、継ぎません!僕は小さい頃から父親に、『会社をやりたければ人様の下に
いって修行して、自分で会社を作れ。俺はお前に絶対に会社を継がせない!』といわれて
ますし、僕もそのとおりだと思うからです!」
【面接官】
「すばらしい。君はいまどき珍しく、すばらしい青年だねぇ」
んで合格。国立大学に。超バカ学校から。センター試験免除で。
そう考えると、親父の言葉はいろいろな意味で重いですね。
ここのところ転職を短いスパンで何回かしていた私に対して「こらえ性がない」などの
苦言を呈する親父ですが、実は彼自身、25回くらい転職してるんです。だから、ある意味
私などまだまだ未熟者です。
最後の転職で、「置き薬」の業界に入ったのですが、そのときに、「これでダメなら自殺
しよう」とまで思ったらしいです。
なのに、入社して1、2ヵ月後の夏休みのときに、千葉の海に当時もう一緒になっていた
おふくろと2人でいって、夏休みが明けても帰らなかったらしい。
どうしようもないダメ人間だったんですね。これで、海で入水自殺でもしようものなら、
太宰も真っ青な人間失格ぶりなわけです。
結局数日後に辞表を持って会社にいったら、普段は鬼のように厳しい当時の社長が、
「どうしちゃったの~、がんばろうよ~」なんていって許してくれたらしいんです。
相当気色悪かったらしいですけどね。
それでやっと、ほんとにやっと心を入れ替えて仕事に励み、5年後におふくろと一緒に
独立したんです。私が3歳になるちょっと前のことでした。
それでバブル絶頂のころの波にも乗って、会社もうまくいくようになったわけです。
しかし、反面問題がいろいろと起きたことは確かです。
神田昌典先生の「成功者の告白」という本をご存知の方も多いと思います。会社が
うまくいくと、家庭でトラブルが起きたり、子供が病気になったり、一番信頼していた社員に
裏切られたりと、必ずといっていいほど問題が起きる、という内容の小説仕立ての本ですが、
あの本を読んだとき、私はぞっとしました。
父親に全部当てはまっていたからです。
おふくろと仲が悪くなった時期もありました。私も小学生のころ、病気で死に掛けました。
昔からの仲間だった社員には裏切られました。
しかし、そんな問題が起こるたびに、ガラッと会社がかわって乗り越えちゃうんですよね。
それも神田先生が本に書いたとおりなんです。
そして今。しかし最近は、寄る年波と時代の波にはさすがに逆らう元気がない親父がいる気がします。
まあ、そんな親父を見てきたわけで、小さいながらも「社長」になりたい、と昔から思っていました。
なにしろ、生まれて「一番最初に知った社長」が親父なワケですから。
いろいろな意味で偉大ですね。ほんと感謝しています。
2007年5月10日 ゆっくりとスタートいたしました。
※この日記は2006年8月にmixiのプロフィールに使用したものです。
2006年8月、ついに私は決意しました。 会社を辞めて独立します。
超びびってます。なぜびびっているのかって?
その前に、私の今の現状を知っていただきましょう。
2005年の10月に今の会社(正式にはすでに2006年7月末で退社しているのですが)に入社。
5ヶ月で三階級特進、課長代理を拝命し年棒も120万円UP!
2006年4月1日に結婚!
2006年5月、妻の妊娠が明らかに!
いや~、幸せなことが続きました。本当に「幸せ者だな~」と思いましたよ。
でもダメなんですねー。
いい会社に入って、いい役職について、給料が年棒で120万あがっても、ダメなんです。
独立したくなっちゃったんです。
まあ昔から独立したいと考えていて、そのタイミングはいつなんだろうとか、いつも考えていました。
そしてこのタイミング。来年頭には子が出てきちゃいます。噂では元旦が予定日とか。
それでびびっているワケです。
「じゃあ、あと何年か後にすればいいのに・・・」
って思いますよね。
ワタクシ、現状に甘えるクセがありまして。その頃になってしまうと
「独立?そんなこと考えてたこともあったな。ま、今そこそこ満足だからいいか・・・」
となることが目に見えているワケです。
自分の時間=人生を無駄に削り、また削られ、グチグチいいながら生きてゆくに決まっているんです、どうせ。
ハゲかかった頭で、みすぼらしい姿で、独り言のように愚痴をいって、家庭の中にも疲弊感がただよう。
ゾッとしました。
それでもう少し掘り下げて考えたんですねぇ。
で、最終的にでてきた結論が「これは独立しろという合図なのではないか」という、
身勝手にもほどがある前向きさだったんです。
チャレンジする機会をご丁寧に期限まで付けて誰かがくれた、みたいな。
子が産まれる直前になんて。これで成功したら、それなりのストーリーになっちゃいますから、
その辺のおもしろさも考えてあえてこの時期に。非常識の方がおもしろいですからねぇ。
で、この日記では読み物としておもしろいと思ってもらえるような文章を、次の3つのテーマで
徒然なるままにお届けしたいと思います。
●マサノビッチと日本の社長
今までに出会った社長さんについての印象や感想を独断と偏見で「当たり障りない」形に書き綴る!
●マサノビッチのけっこうなお言葉
「この言葉はいい言葉だな」や逆に「この言葉にはもの申す!」といった言葉をごくごく主観的に
解釈してあなたにお届け!
●マサノビッチの今そちらに向かってます
マサノビッチが成功に向けてひた走るその姿を涙あり笑いありでお届けする、ただの日記。
不定期ながらもこの3本を軸に、楽しみながらやって行きたいとオモイマス。
ご意見・ご感想は書き込みなりメッセージなりでどしどし受け付けます。
あなたの成功への道すがら、一服の清涼剤として、このページをみてくれたらうれしいですねぇ。
2006年8月10日
マサノビッチ
2006年8月21日
とりあえずお金をかけずにすぐに始められるビジネスを立ち上げました。
→http://
2007年1月10日
無事に子供が産まれました!3920gの超巨大児です!元気な男の子です!
2007年3月5日
事務所をオープン!社員も1名増え、2名体制になりました!
2007年5月10日
ホームページを新しくリニューアルしました!
→ http://