分別は煩悩の原因となる☆ほんとうの智慧は瞑想でしか到達できない | みえない世界をガイドする BIWANOTERA

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本日の「光照寺瞑想会」のミニ法話は

「分別について」でした。

これは、ちょっとした

説明だけだととわかりにくいです。

 

 

 

一般的に分別というのは

道理や常識、善悪をわきまえていることで

いい意味として捉えられています。

 

でも仏教的な見方では

分別というのは

けっしていい意味ではありません。

 

なぜなら、常識や善悪を

心得ているのは良いことだという

前提でだれもが生きているからです。

 

でもそもそも常識なんて

普遍の真理ではありませんし

善悪だって時代や場所によって

変わります。

 

分別とは

自分と他者を区別、区分すること。

そうすることで認識する自分と

認識される他者が対立します。

 

自分から見て是非、正否、好悪などの

判断が生じます。

 

つまり分別に起因して

執着が生じ、煩悩が生まれます。

 

煩悩から業を生じ苦がうまれるという

構造が出来上がります。

 

煩悩の原因は「分別」ということになります。

 

自他の区別は自分と他者を

分け隔てることになり

自己への執着も起こします。

 

では分別のない状態とは

どういう状態でしょうか?

 

鏡にモノを映したときの状態。

ただありのままに映している。

何の分け隔てもなく

何のジャッジもない。

 

いかなるものも

そのまま受け入れる。

 

それって、瞑想の境地ですね!

 

ありのままとは

無分別であるということ。

 

主客のない世界・・・。

 

煩悩を断つには

分け隔てのない

「無分別智」を得る。

 

でも

智慧は知識では得られないのです。

 

もし知識で得られるなら

仏教学者やお坊さんは

みんな悟っているはず。

そうではないことは

みてわかりますね。

 

真理の智慧は

体験でしか到達できない。

学問の知識ではなく

いまの一歩。

いまの一呼吸。

 

何の変化もないようにみえても

続けて参加している方から

ほんの一瞬、静かな瞬間が訪れた・・・

そんな報告がありました。

 

そうです。

何回かに1回、ほんの一瞬だけ。

 

一発で変わることを望む人は

けっきょく何もできません。

そのまま終わっていきます。

 

一瞬の積み重ねが人を変えていきます。

 

木もゆっくりと育っていきます。

いきなり大木にはなれません。

 

いまからやっても間に合わない?

 

そうかもしれません。

でも人は死んでも終わりません。

 

≪人は死んでも終わらないシリーズ≫

 

人は死んでも終わらないなら➀・・・もう少し頑張っておく?

人は死んでも終わらないなら②・・・来世のために準備をしておく?

人は死んでも終わらないなら③・・・借りは返しておいた方が良くない?

 

死んだところからはじめなくてはいけないなら

少しでも駒を進めておいた方が

良くないはてなマーク

 

光照寺瞑想会 次回は7月11日です。

申し込みはHPまたは公式LINEより

 

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