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今日は娘や、高校受験の話題ではございません泣


娘が学校からもらってきたお手紙の中に、「ヤングケアラー」への支援や相談先についての内容がありました。

何気なく、学生の子が赤ちゃんを抱っこ紐で抱っこしているイラストを見ていたら、自分の小さい時を思い出してしまって、複雑な何とも言えない感情が湧いてきました。不安


 〜小学校の思い出〜

今とは時代背景が異なります、

少し悲しい内容ですので、無理そうな方は

どうか画面を閉じてご退出くださいね。


私が小1ぐらい、まだ低学年の頃のお話です。昭和60年代。


学校から帰ってきて、いつものように友達と遊びに行こうとしていたら、なぜか母に叱られました。

「いつも遊んでばっかりで、たまには妹の散歩ぐらい連れて行って、お手伝いしなさい!ムキー」というような内容だったと思います。


私は母に逆らう事もできず、仕方なしに妹(歳が6つ離れているので、まだ0〜1歳でした)をベビーカーに乗せて散歩する事に。


私の小さな身体ではベビーカーを押すのも大変でした。妹は散歩中ずっと大声で泣き続けており、私はどうしてなだめたらいいのか分からないし、人の目も気になるし、本当に絶望したのを今でも覚えています。悲しい


10分ぐらい家の周りを散歩したでしょうか、それでも妹は泣き止まないし、限界を感じていた時、近所のおばあちゃんが声をかけてくれて、少し妹をあやしてくれたりして、ちょっと救われました。  〈完〉


今の令和の感覚ですと、低学年の子だけで、近所とはいえベビーカーで乳児の散歩に行かせるなんて危険すぎて怖くなりますポーンあせる

事故もだし、不審者とか、ねぇ?


なんで、あの日、母は私を散歩に行かせたのか?

母はもう亡くなっているので、理由を聞く事はできません。


昭和60年代(1980年代後半)は、まだ「ヤングケアラー」という言葉が一般的ではなく、家庭では「お姉ちゃん(お兄ちゃん)なんだから我慢しなさい」「下の子の面倒を見てね」という考え方がごく普通にあったのでしょうね。


 きっと地域のサポート体制や保育支援は今ほど整っておらず、母もストレスがたまっていたのかもしれません。


全然「ヤングケアラー」状態とは言えないけど、ふと蘇ってきたちょっとせつない思い出でした。ここで吐き出す事で、あの時の私の悲しかった気持ちが昇華されますようにウインク


 目がウロコになる発想の内容でした。何回も読み返したくなる一冊。