アルミトラが言った。-----お話しください、あなたの信仰心を。
アルムスターファ氏が答えて言った。
私の一族は仏教徒だ。母の実家の菩提寺はタイが王国として初めての歴史を刻んだ土地にある。その寺の一部は一般開放されているが、本来は母の一族所属の寺である。また、バンコク市内にも菩提寺を持っている。タイと言う国は社会階級が違えばいく寺も違うのだ。私の行く寺はもちろん、私と同等レベルの人たち専用の寺である。
タイと言う国は会社から寺や慈善事業への寄付をし領収証を入手すれば一般経費としてその支出が認められる。「税金を払うぐらいなら寄付をして徳を積みませんか」こんな言い方が非常に一般的になっている。
もちろん、私の会社からも多大に寄付をしている。そして私も事あるごとに寺へ参拝している。
長年、そうしてきた。
しかしアルミトラの話は衝撃的だった。「とある国教が仏教の国で日本人のキリスト教宣教師が潜入布教をしているのですが、そこでキリスト教の洗礼を受けた現地民が言ったこと。『仏教は拝んでも払っても人生が変わらない。土着信仰は生贄ばかり要求する。キリスト教は、、(略)』という話を聞きまして(略)」私の耳は凍りついた。私は多大な寄付をし事あるごとに寺に行っていたが私は常に苦しみの中に居たのではないだろうか。私は自分が信心深い仏教徒、敬虔で信仰心篤い仏教徒、必ず救われる仏教徒、と思ってきた。私は自分が徳深く特別な階級であるとずっと思ってきた。しかしその未開の国の現地民と同じことを感じていたとは。
私の信仰心は、私の信心深さとはなんだったのか。