その2…書いたつもりになってたけど、実は書いてなかったことに今気づきました(汗
「公園の遊具で小学生が怪我をした」という1つの出来事は
見る立場が違えばそれは良くない事になり、または良くも悪くもない(関心がない)事になり、または良いと感じる事にもなり得ます。
起きている出来事自体はたった1つで変化もしないのに、見る人によって受け取り方は違ってしまう。
私達が下しているジャッジは、自分(または、その出来事を見る人)の立場によってコロコロと変わってしまう、案外いい加減なものだということです。
私達が個人的な感情やこの世界のモラルやルール、法律などに基づいてジャッジしているだけ。
(個人的な感情に基づくジャッジがいちばん多いと思いますが)
もともと、起きている事柄自体には良いも悪いもないのです。
ただそれが起こっているだけ
という真実に、私達が「良い」と書かれたラベルか「悪い」と書かれたラベルを貼ってより分けているに過ぎません。
そろそろそんなラベル貼りなんてやめてしまいましょう。
起こった出来事を起こったままに、ジャッジせずに受け止めて受け入れる。
それは、自分がブレにくくなる1つの方法でもあるのです。
「公園の遊具で小学生が怪我をした」という1つの出来事は
見る立場が違えばそれは良くない事になり、または良くも悪くもない(関心がない)事になり、または良いと感じる事にもなり得ます。
起きている出来事自体はたった1つで変化もしないのに、見る人によって受け取り方は違ってしまう。
私達が下しているジャッジは、自分(または、その出来事を見る人)の立場によってコロコロと変わってしまう、案外いい加減なものだということです。
私達が個人的な感情やこの世界のモラルやルール、法律などに基づいてジャッジしているだけ。
(個人的な感情に基づくジャッジがいちばん多いと思いますが)
もともと、起きている事柄自体には良いも悪いもないのです。
ただそれが起こっているだけ
という真実に、私達が「良い」と書かれたラベルか「悪い」と書かれたラベルを貼ってより分けているに過ぎません。
そろそろそんなラベル貼りなんてやめてしまいましょう。
起こった出来事を起こったままに、ジャッジせずに受け止めて受け入れる。
それは、自分がブレにくくなる1つの方法でもあるのです。