都内の坂道歩き




坂道が好きです!

まずは#100達成!!

まだまだ都内の気になるところを

勝手気ままに巡りますあしあと




vol.23  #149〜#161

文京区西片〜白山 

 2024/4月



今回巡った坂道は13ヶ所

今までで一番多いかも…

これから梅雨に入ったり暑くなったりすると

外歩きはなかなかしんどいので

行ける時にと多少欲張りましたグラサン


地下鉄でいうと春日白山千石間の

2.5駅分のエリアを

今回は途中経路はほぼカットして

歩いた坂道順にカウントして行きます




あしあとあしあとあしあとあしあとあしあと



都営地下鉄春日駅A6出入口から



西片交差点を背に少し歩き



左へ入り最初の石坂





#149  石坂



石坂の由来

西片1丁目

不明

坂学会によると坂の由来は不明とありますが

標識には以下のようなことが

書かれています


この坂の台地一帯は、備後福山藩の中屋敷を

幕府の御徒組、御先手組の屋敷であった。

明治以降、東京大学が近い関係で多くの学者

文人が居住した。

田口卯吉(経済学者・史論家)、坪井正五郎(考古

人類学者)、木下杢太郎(詩人・評論家・医者)、

上田敏(翻訳者・詩人)、夏目漱石(小説家)、

佐佐木信綱(歌人・国学者)、和辻哲郎(倫理学者)

など有名人が多い。そのため西片町は学者町

といわれた。




坂途中



坂上より



次の新坂へ向かいますあしあと








あしあとあしあとあしあと



新坂の坂上に来ました

下って行きます



#150  新坂(福山坂)



新坂の由来

西片1丁目白山1丁目の間から

西片1丁目2丁目の間まで

坂上にあった旧福山藩主邸へ通じる

新しく開かれた坂



大きな逆S字状の坂です



坂下より




あしあとあしあとあしあと



#151 曙坂





曙坂の由来

西片2丁目

かつてこの辺りは"鶏声ケ窪"と呼ばれた

明治初期に町ができて

『鶏声暁にときを告げる』にかけて

『曙』という町名とした

石碑は昭和二十二年竣工と

刻んでありました

上の方が欠けてしまっていて

だいぶ年季が入っていますね



坂上より

文京区設置の標識も向かって右手

坂中ほどに立っていますが

下ばかり見て上っていたのか

見事に見落としていましたガーン



あしあとあしあとあしあと



#152  胸突坂

事前調べでは標識無しのはずが…しかし

写真右端に見切れて写っているのは

紛れもなく標識ではないかガーン

現地で全く気が付かずガーン


文京区には「胸突坂」が3箇所あり

どうも違う「胸突坂」情報を見ていたようです

またやらかしてしまった笑い泣き




胸突坂の由来

西片2丁目白山1丁目の間

急な坂道には「胸突坂」の名が

つけられることが多い

ここも急峻な坂であるためこの名になった



坂上より





次は胸突坂からすぐの中坂下りますあしあと




#153  中坂






中坂の由来(標識無し)

白山1丁目

胸突坂浄心寺坂の間にある坂なので

この名になった



坂下より

かなり斜度のきつい坂で

私的にはさっきの「胸突坂」より

よっぽどこちらの方を「胸突坂」と

命名したいあせる



あしあとあしあとあしあと



浄心寺坂下に来ました

上って行きます



#154  浄心寺坂 

坂上より



浄心寺坂の由来

白山1丁目

浄心寺近くの坂なのでこの名が付いた

また坂下に「八百屋於七」の墓所

円乗寺があることから

「於七坂」の別名もある

標識には浄心寺近くの坂なので

この名が付いたと書かれているが

現在の浄心寺はこの坂から200メートル以上

東にあって直接通じる道路もなく

この坂とは関係がなさそうな寺である

浄心寺の歴史を見ても

以前は湯島にあったということでもあり

どうして「浄心寺坂」なのか理解しづらい

との注釈もありました



あしあとあしあとあしあと



旧白山通りから白山通りへ出て

少し歩きます








横断歩道を渡り

マンションとマンションの間から伊賀坂あしあと






#155  伊賀坂




伊賀坂の由来

白山2丁目

坂名の由来には

伊賀者の同心衆の組屋敷があったとか

真田伊賀守屋敷があったという

二つの説がある



坂途中



坂上は五叉路になっていて



左へ ここから小石川植物園方面まで

しばらく歩きますあしあと





あしあとあしあとあしあと



小石川植物園の南東角

園の東側に沿って伸びる御殿坂を上ります




#156  御殿坂

標識見当たらず(撤去中?)






御殿坂の由来

白山2丁目3丁目の間

ここにはかつて白山御殿があったために

この名が残った



坂上より




次はほぼ直進で蓮華坂あしあと



蓮華寺坂上から下ります



坂途中



白山下交差点




#157  蓮華寺坂

坂下より



蓮華寺坂の由来

白山2丁目4丁目の間

蓮華寺の横を通る坂なのでこう呼ばれる



白山通りに出たら左手(千石方向)へ



交差点から2ブロック目の細い上り坂が

逸見(へんみ)坂



坂下より




#158  逸見坂




逸見坂の由来

白山4丁目

坂の途中に逸見某の邸があったので

この名で呼ばれた



坂上より




次は更に千石方向に進み一行院坂あしあと



一行院角の坂上から下って行きます



#159  一行院坂



一行院坂の由来(標識なし)

一行院の前を東北に下る

さり気なくゆるやかな細い坂



坂下より



再び白山通りに出ます




白山通りを反対側へ渡り

折り返す形で次の暗闇坂あしあと



ここから左へ



変則十字路の先が暗闇坂



暗闇坂坂下から上ります



#160  暗闇坂




暗闇坂の由来(標識なし)

白山5丁目

江戸時代大名の下屋敷が連なっていた所で

屋敷と屋敷の間に一本縄のように伸びた

暗く細い道だったため



坂上より

文京区内でも「暗闇坂」は2箇所

23区内でも同名の坂は12箇所ほどある



あしあとあしあとあしあと



そして国道17号白山上まで歩き






旧白山通り(薬師坂)へ

#161  薬師坂(薬師寺坂,浄雲寺坂,白山坂)



薬師坂の由来

白山1丁目から5丁目の間

坂上の妙清寺に薬師堂があったので

薬師坂と名づけられた



坂下より



この旧白山通り(薬師坂)の途中にある

白山駅が終着点駅となりました





鉛筆鉛筆鉛筆



今回は文京区西片エリアから

歩き始めましたが

文京区西片という地名があることも

初めて知りました目


スマホのバッテリー温存の為

行きの電車の中では極力

本を読むようにしています

この日は次に読む本も準備していなくて

出がけにバーっと文庫本を見渡して

これでいいか!と手に取ったのが

太宰治の「斜陽」でした

(まだ読んだことがなかったものでてへぺろ)


物語に出てくる貴族だか華族だか

ご身分の高そうな親子のお住まいが

西片町』だったのですびっくりマーク

(後で東京の西片町文京区のみだと

いうことも確認しました笑)

なんという偶然ビックリマーク引き寄せたか!!


文京区と言えば昔は

文豪が多く住まわれた地でもありますね

物語の舞台となったエリアも

今は戸建ての立派なお宅に建て替わっていて

当然昔の面影などは感じられないのですが

「たまたまさっき読んだ本に出てきた所を

歩いているのよねぇ〜走る人飛び出すハート

「モデルになったお家があるとしたら

どのへんだろう」…などと

勝手に妄想膨らませながらの坂道歩き

なかなか楽しかったです爆笑




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​カウント対象の自分ルール

ダイヤオレンジ都内の坂道であること

ダイヤオレンジ案内碑(標柱)のある坂道

であること(基本的には!)