都内の坂道歩き




坂道が好きです!

まずは#100達成!!

まだまだ都内の気になるところを

勝手気ままに巡りますあしあと




vol.21  #131〜#142

文京区関口〜大塚

 2024/3月



今回の起点も神楽坂(新宿区)

程近い所からのスタートでしたが

終点辺りの電柱の住居表示が東池袋

なっているのにビックリびっくり

結構な縦の移動でした走る人


確かに今回はちょっと欲張ったので

時間も歩数もだいぶ膨らみました煽り




あしあとあしあとあしあとあしあとあしあと




今回も起点は東京メトロ有楽町線江戸川橋駅

1a出口を出ると上は首都高5号池袋線

本日も空は真っ青晴れ





首都高に沿って池袋方向へ少し歩き



最初の角を左に曲がると目白坂です



#131  目白坂



目白坂の由来

関口2丁目

かつてこの坂の南面に新長谷寺があり

本尊を目白不動尊と称した

3代将軍家光が「目白」の号を

授けたことに由来する

(別名 不動坂)





なだらかに「く」の字に曲がる坂です



上り切るとしばらく平坦になり



前方に見えるのは

東京カテドラルマリア大聖堂の尖塔





歩道橋より振り返って

向かって右側はホテル椿山荘東京

折り返すように左手の目白新坂

下って行きます



#132  目白新坂



目白新坂の由来

関口2丁目3丁目の間

この坂の南に「目白坂」があり

そのバイパスとして作られた坂なので

目白坂に対して目白新坂という

(別名 新坂•椿坂)

東京都設置の碑です



坂下より



坂中腹まで戻りこちらから七丁目坂



ここから七丁目坂…かと思いきや

実はこの地点より更に下から続いているのを

見落としていたことに後で気付き…ガーン



ほんとはこのような石段坂が

あったのでした笑い泣き

画像拝借いたしました



七丁目坂の由来(標識無し)

関口3丁目

旧•音羽七丁目と八丁目の間を上る

坂なのでこの坂名となった



獨協中•高等学校角を右へ





突き当たった所が鳥尾坂の坂上です



#134  鳥尾坂



鳥尾坂の由来

関口3丁目

近くに鳥尾小弥太子爵が住んでいた

近くの坂は急すぎて人力車も自動車も

上れなかったため

私財を投じて坂道を拓いた

このため「鳥尾坂」と名づけられた



坂下より

標識見当たらず



下りつくと再び上は首都高

高架に沿って池袋方向に少し歩くと



左方向への坂が見えて来ました



#135  鉄砲坂



坂途中



鉄砲坂の由来

目白台3丁目関口3丁目の間

江戸時代にはこの崖を利用して

鉄砲の射撃場があった

その近くの坂ということで

この名で呼ばれる

(標識見当たらず)



坂上より

かなり急坂で首都高より高いことが

わかります




あしあとあしあとあしあと



10分程直進して角を右へ



更に突き当たりのT字路を右折すると

三丁目坂へ繋がります





#136  三丁目坂



三丁目坂の由来

音羽1丁目2丁目の間から目白台3丁目まで

旧•音羽三丁目から西の方目白台に

上る坂ということでこの名でよばれた

高速道路の下にはかつて弦巻川が流れていて

三丁目橋(権三橋)がかかっていた

(標識見当たらず)



坂下より



下り切って都道を渡ります

そのまままっすぐ方向に伸びる坂

付属横坂という名称が付けられています



#137  付属横坂



付属横坂の由来(標識無し)

大塚1丁目2丁目の間

お茶の水女子大•筑波大(旧教育大)

付属中学•高校があることが

この坂名の由来と推察される



Google mapsで見ると

付属校坂とか音羽の坂という

呼び名もあるようですが…⁇




左手はお茶の水女子大

右手は筑波大付属中•高校



筑波大付属中•高等学校






あしあとあしあとあしあと



文教エリアを抜けて歩くこと約15分

不忍通り千石三丁目交差点まで来ました



ここから南方向上矢印

大塚4丁目交差点までの区間に

白鷺坂という名称が付けられています



#138  白鷺坂




白鷺坂の由来

大塚3丁目4丁目の間

かつて伊達宇和島藩主の下屋敷であったが

明治時代に荒廃して白鷺の営巣地となったため

この名がついた

(標識見落とし⁈)



坂上より



大塚4丁目交差点から更に直進すると



富士見坂という名称に変わります



#139  富士見坂



富士見坂の由来

大塚2丁目から音羽2丁目大塚5丁目まで

かつて坂上から富士山がよく見えたので

この名がある



坂下まで来ました

右手に上る細い道が希望の坂



上った先に文京区立青柳小学校•幼稚園

があります



#140 希望の坂




希望の坂の由来 

大塚5丁目

公募による坂名

希望に満ちた子どもたちの将来を願って

この名になった

青柳小学校は1960年高速道路建設のため

旧西青柳町から現在地に移転された

当時の町名が校名となったと記されています



坂上より




下った地点は首都高と2本の都道の

分岐点で入り組んでいます 

首都高と平行に小篠(こざさ)坂と名の付く

都道435号を池袋方向に歩きます足あと




#141 小篠坂



小篠坂の由来

大塚5丁目から豊島区雑司ヶ谷1丁目まで

この坂道が開かれた当時は

笹が生い茂っていたことから

この名がついたのだろう

(別名 小笹坂•乞食坂)





5,6分歩き護国寺の広大な敷地を

右に見ながら歩くこと数分



道なりに進み開運坂の坂上まで来ました



#142  開運坂



坂下より




開運坂の由来

大塚5丁目6丁目の間

かつて坂上に講道館の開運坂道場があり

海南生著「閑雲去来」には

「支藩(嘉納治五郎)が開運坂と命名された」

とある

(標識見落とし)


 


今回の坂道歩き全て終了し

終着点の東京メトロ丸の内線

新大塚駅到着!







鉛筆鉛筆鉛筆



今回巡った12坂道のうち標識とセットで

撮れたのはたった5ヶ所

元々標識が無い七丁目坂付属横坂を除くと

10分の5・・・半分…汗


そもそも文京区の場合

標識の設置場所が坂によってまちまちなので

事前にチェックしてメモして行きます

この場合のメモは紙ですメモ

このメモ紙を早々に落としてしまいました叫び


これまでもメモを持っていても

標識が電柱で隠れていたりして気付かず

アレ?と思って引き返して見つけたり

そもそも書いてある場所に無かったりで

辺りをウロウロすることも多々あり…あせる

必ずしも情報が確実ではない事も

分かってきました

(某サイト情報が古いのか?)


それでこの日はとにかく

絶対見逃さないぞと意気込んで

歩いて行ったのですが

…凄まじく減りが早くなった

スマホのバッテリーと戦いつつ…

やっぱり見落としがありましたガーン


やっぱり標識とセットで撮るカメラのと

名前はあるのに坂道だけというのでは

テンションが全然違います笑


そんなこんなで今回はなんとも残念な

坂道歩きとなりました

次回はメモ紙落とさないよう

まだまだ文京区を歩きたいと思いますあしあと





……………………………………………………



​カウント対象の自分ルール

ダイヤオレンジ都内の坂道であること

ダイヤオレンジ案内碑(標柱)のある坂道

であること(基本的には!)