都内の坂道歩き
坂道が好きです!
まずは#100達成!!
これからも都内の気になるところを
勝手気ままに巡ります
vol.18 #108〜#115
文京区小石川(その2)・千石エリア
2023/11月
文京区2回目の坂道歩きです
#100坂道達成までは
証拠を残す為にも標柱のある坂道に拘って
(自分ルール遵守で!)
数をカウントしてきました
坂道の名称はあるのに
行ってみると標柱が無いという所も
これまでにいくつかあって
がっかりすることも多々あり
そこで#100以降は標柱が無くても
マップ上に坂道名が載っていたら
カウントすることにしました〜
それと文京区は標柱ではなく
標識と呼ばれているようなので
以降私もそのように呼びたいと思います
今回歩いたのはこのエリア
東京メトロ丸の内線後楽園駅
6番出口からスタートして
2つ先の新大塚駅をゴールとします
地上に出るとすぐ春日通り(富坂)
しばらく上って行きます
空は真っ青いい天気!
富坂上まで来るとほぼ平坦に
右手に傳通院を見て
更に歩くこと10分
角を右に曲がると緩やかに下る
#108 吹上坂
坂下より
吹上坂の由来
このあたりをかつて吹上村という
地名であったことから
標識見落としにつき画像拝借しました!
吹上坂から団平坂に向かう途中
こちらの『播磨坂桜並木』を横断します
左手に上る団平坂に出ました
坂上方向
#109 団平坂
坂下方向
団平坂(丹平坂・袖引坂)の由来
小石川5-9と10の間
かつて団平という米つきを商売とする人が
住んでいたことから
何かで名が知られていたのであろう
庶民の名の付いた坂は珍しい
次はしばらく歩いて
湯立坂を目指します
樹木の奥は筑波大学東京キャンパス
敷地に沿って下る坂が湯立坂
#110 湯立坂
右手は旧磯野家住宅(銅御殿)
湯立(ゆたて)坂の由来
小石川五丁目と大塚三丁目の間
昔この坂の下は川があって
氷川神社に渡ることができなかったので
神社の氏子は川の手前で
湯花を捧げたためこの名がついた
下り切ったところからそのまま真っ直ぐ
網干坂への上りとなります
道幅がだいぶ狭くなります
#111 網干坂
坂下方向
網干坂の由来
白山三丁目と千石二丁目の境
昔坂下の谷は入江で舟の出入りがあり
漁師が網を干したであろうことに由来する
右手の小石川植物園に沿って
上っていきます
上り切って左へ
また左へ
氷川坂の下りへ続きます
#112 氷川坂
氷川坂の由来
氷川神社に接した坂であることから
坂上にある氷川神社
以上画像拝借しました
坂下より
氷川坂を下り切ったら右手方向に
しばらく歩きます
道が細く家屋も昭和の佇まい
道幅が広くなり不忍通りに出ました
右手歩道に標識発見!
実はここはノーチェックだったのですが
猫又坂という名称がついていました!
猫又坂の由来
千石二丁目と三丁目の間
不忍通りが千川谷(氷川下交差点)に下る
広く長い坂
現在の通りは大正11年に閉鎖したが
昔の坂は東側の崖の淵を通り
千川にかかる今はなき猫又橋に
かかっていたことに由来する
不忍通りを横断しまた細い道を進みます
突き当たりを右折すると
砂利場坂への上りです
#114 砂利場坂
中ほどでくの字にカーブします
砂利場坂の由来(標識無し)
元々この一帯は傳通院の寺領であったが
護国寺造営の際に砂利をここの斜面でとった
『砂利場』だったことに由来する
突き当たりを左折します
少し歩いてまた左折すると
宮坂に続きます
ちょうど区境になっていて
道路向かって右手側は豊島区です
宮坂の由来(標識無し)
昭和9年に尾張屋銀行が住宅開発を行った際に
造成された昭和の坂
有栖川宮の屋敷があったので
『宮坂』と呼ばれるようになった
宮坂を下り切ったところで
今回の坂道歩きは終了
予定していたのは7箇所
うち標識の見落としが
どうやら3ヶ所あったようで
そちらは画像お借りしました
せめてラッキーだったのは
事前にノーチェックだった不忍通りに
猫又坂の標識があったこと!
やっぱり標識には拘りがあるのよね〜
というわけで本日は8坂道歩きとなりました
東京メトロ丸の内線新大塚駅を目指し
豊島区エリアを歩いて行きます
今回のルートはほぼカギ型に進んで行けて
とても効率的な坂道歩きでした
一通の長〜い坂が印象的でしたね
そして平坦地の細い道沿いには
昔ながらの印刷会社があったり
昭和の佇まいが残るエリアでした
文京区の坂道歩きまだまだ続きます
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カウント対象の自分ルール
都内の坂道であること
案内碑(標柱)のある坂道
であること(基本的には!)