都内の坂道歩き
坂道が好きです!
都内の気になるところを
まずは#100を目標に
勝手気ままに巡ります
vol.14 #083〜#090
市ヶ谷(その1) 2023/4月
さぁ5月!GWに突入しました
この期間中にどうしても
動かなくてはいけない
…というわけではないので
混雑緩和に微々たるものですが
貢献したいと思います
さて今回は市ヶ谷界隈を巡りました
前回歩き忘れた坂があったので
四ツ谷三丁目駅からスタートし
飯田橋駅までの坂道歩きです
四谷三丁目駅2番出口を地上に出ると
新宿通りです
新宿方向に1ブロック歩いたところで
右に曲がります
暗(くらやみ)坂の始まりのはずが
坂の案内碑が無く…
300メートルぐらい歩いたところで
やっとありました!
しかもなんだか微妙な所に
#083 暗(くらやみ)坂
案内碑はこちらのみで
起点と終点がはっきり
分からなかったのですが
どうやら右手に下り切った所までが
暗坂と呼ぶようです
暗(くらやみ)坂の由来
樹木が茂って暗かったため
別名「くらがり坂」ともいう
歩いて来た道を振り返って
坂を下り切り都道302号線に出ました
この下を都営大江戸線が走っています
左手に上り外苑東通りへ
外苑東通りをしばらく
歩いて行きます
右手の銀杏坂通りへ
上りに差し掛かりました
#084 銀杏坂
銀杏坂の由来
昔坂の北側に旗本久貝家の屋敷があり
屋敷内に銀杏稲荷という社があったため
坂上から
中根坂〜安藤坂に向かっています
下り坂に差し掛かります
正面の建物は防衛省
#085 中根坂
#086 長延寺坂
坂上より
長延寺坂の由来
#087 浄瑠璃坂
浄瑠璃坂の由来
①あやつり浄瑠璃が行われたため
②かつて近くにあった光円寺の薬師如来が
東方浄瑠璃世界の主であるため
など諸説あり
江戸時代の「浄瑠璃坂の仇討ち」は
三大仇討ちの一つ
坂上より
案内碑は見当たらず…
上り切った左手は
芥(あくた?)坂のはずなのですが
特に案内碑は無く
その先の歩道橋の名前は
あくたではなくごみ坂となっており
あからさまに「ごみ」と呼ぶのですね
ちょっとびっくり
折り返し直進して次の鰻(うなぎ)坂へ
#088 鰻(うなぎ)坂
鰻坂の由来
坂上より
上り切って右手方向へ
歌坂に向かいます
ほぼ下り切った所に案内碑がありました
#089 歌坂
歌坂の由来
雅楽(うた)坂ともいう
江戸時代この坂道の東側に
酒井雅楽頭(うたのかみ)の屋敷があった
その名前に因んでつけられたのであろう
この場所は法政大学の
市ヶ谷田町校舎です
#090 逢(おう)坂
逢坂の由来
昔この地の武蔵守(むさしのかみ)が
娘と恋仲になり
没した後娘の夢により
この坂で再び逢ったという伝説に因む
上って行きます
逢坂の案内碑・・・曲がっている
実は前回歩いたエリアの案内碑が
いくつも曲がっていて
新宿区は曲がった碑が多いのか
今回はどうかな〜?なんて
思いながら歩いてたりしたもので(^^;)
坂上より
この後いくつか巡りましたが
今回はこれまで
この日歩いた後に
二、三取りこぼした坂道が
あった事に気づき
それも含めて次回市ヶ谷(その2)に
繰り越したいと思います
終着点の飯田橋駅
この日歩いた坂の名前も
ほとんどが江戸時代に付けられたことが
分かりました
武家や役人の屋敷があったことに
由来するものは多いですね
都心部でありながら
やはり坂道のあるところは
閑静な住宅地
マンションが圧倒的に多い中
市ヶ谷は一戸建ても多い印象でした
では次回市ヶ谷(その2)に続きます
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#100カウント対象の自分ルール
都内の坂道であること
案内碑のある坂道
であること(基本的には!)