広島平和記念資料館のことを写真で紹介します。
日本人である以上、必ず行きたいと思っていた場所でした。
行って良かったと思えた場所でした。
資料館の前の道路をはさんだ向かい側にある作品。
世界中の文字で「平和」と書かれている。
見て!この千羽鶴の数!!
日本中から来る修学旅行生が置いていくんやろか。
それとも届けられるんやろか。
ここだけで10万羽鶴はあるんじゃないか?
公園を通って資料館に来た。
前回の記事にも書いたけど、資料館には無料の
ボランティアガイドという人をつけることができる。
もちろん英語対応の方もいる。
せっかくやし、ちゃんと知りたいからガイドをつけてもらった。
70歳のおじいちゃん、尾関さん。
実際に広島で戦時中を生き、家族を亡くした方だった。
エントランスにあった地球平和監視時計(peace watch)
原爆投下からの日数と、
最後に核実験が行われてからの日数が表示されている。
その後、北朝鮮の核実験によって
この952の数字は再び「0」を表示しました…。
ちょっと読んでみ。
うすく切った木を使った代用マッチ。
上のは非常食。
缶詰のための金属も不足し、陶器の缶詰が作られた。
ジオラマに人はいないけど
本当はたくさんの人がここにはいたんだ。
投下のわずか数時間後の写真。
見入ってしまった。
確か新聞記者が撮った写真。
すがる先もなく、残った交番に集まってきた市民を写している。
文字の部分が抜けているのは、
あまりの熱線に黒い、熱をよく吸収する部分だけ
焼け抜けてしまったから。
黒い雨の跡
中二の合唱コンで「消えた八月」という歌を歌った。
歌詞に「黒い雨が降る」という部分があったが、
原理は分かっていたけど、ずっと信じられなかったものが、
ようやく、少し分かることができました。
原爆によって膨張した空気が衝撃波(10秒で3.7km!!)
になり暴風と共に吹き抜けました。
膨張した空気は収縮をはじめます。
今度は内側に向かって強烈な吹き戻しがありました。
半径2kmの木造家屋はほとんどが倒壊しました。
空気は粉塵とともに舞い上がり、キノコ雲をつくり、
数時間後、放射能を含む粉塵は雨となって降り注ぎました。
これが「黒い雨」です。
渇いた喉を潤すために、この雨や、
雨が降り注いだ川の水を飲んで亡くなった方も多くいました。
原爆の子の像の前では小学生が千羽鶴を寄贈していました。
奥に見える透明のケースには
折鶴が隙間なく保管されていました。
千羽鶴のはじまりはこの広島なんや。
サダコと折鶴の物語 。初めて知った。
式典を行う広場です。
よくテレビで見るよね。
原爆ドームから160mのところにある爆心地です。
1945年、5月8日 午前8時15分。
ここに来ればよく分かります。
そして、時間があるならガイドさんをつけるといいです。
尾関さんから聞く、生の声。
この時を生きた人、残された人の声。
資料には書かれていない話や、思いが聞けてよかった。
学生の修学旅行でくるのもいいけど、
成人してから行ったほうがいい場所やと思う。
おれは戦争反対の理由は
「大切な人を失ったら悲しいから。」
反戦の思いはごちゃごちゃ考えるより
シンプルでいいと思うな。

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