昨日の写真全肯定会議で小林さんの写真見てる時がとても良かったのだけど、考えを仮整理しときたいんだけど、書くとこどこにもなかったから、ここに書こう。
批評してって言ってたから批評しようとしたら、痛い目にあった!自爆です。写真の技法ばかりに目がいってしまって内容全然入ってこない。来なかった。そんでグルグル同じこと言ったりして、恥ずかしい感じになった。とても悪くなかった。
なんか自分の底が見えた感じもしたし、自分の底を見られるかと思ってびびっているのにも気づいた。
誰かの基準にのるのが嫌なのは、手が縮こまるからなんだろうなと思った。自意識が出てくると手が縮こまる。思ったことを言うのが恥ずかしくなる。
クイズみたいだったし。クイズは好きだけど写真見ることがクイズだったとしたら、僕は見たくない。小林さんはクイズ出してるつもりはなかったんだけど、僕が批評という言葉に囚われて自分でクイズにしてしまった。恥ずかしくなる。
思ってるけどできてないことばかりだ。
まあそれはいい。とてもよいできごとだった。自意識に囚われるのは恥ずかしいけど、自分の自意識が反応する場所がわかるのはとても大切なことだから。僕は賢く見られたいんだとわかった。賢いと思われたいんだ。賢く見られたいと思って振る舞ってるやつを賢いと思ったことなんて一度もないはずなのにね。
後半は少し我を取り戻した。小林さんの写真が僕は好きなんだけど、それはなんでなんだろうと考えることにした。小林さんが何を思って写真を撮ってるのとかはわかるはずないんだけど、小林さんの写真を見たときに僕がいいなと思うことについては、自分のことだから考えることができるしね。
グルグル考えてて少しわかったのは、小林さんの写真見てるときに、僕は自分が街を歩きながらわからないなと思いながら街を歩きながら写真撮ってる時のことを思い出してるということだ。
小林さんの写真は確信に満ちているようで何か探してるみたいで、そしてそれが大量にある。
小林さんが何を探してるかはわかんないし、それは小林さんの問題だから僕にとっては関係ないことなんだけど、小林さんが何かを探し続けている姿を見て、僕は自分を鼓舞してるんだろうと思った。大森さんの音楽聴いてる時もそうだし、井上さんの写真見てる時もそうだな。榎本さんや保坂さんの姿見てる時もそうだ。わからないけど適当なところで答えを見つけ出さずにいる人を見て、僕も、と思うんだろう。
あなたが何を探してるかは僕にとっては関係ないことだけど、あなたが何かを探している姿を見て僕は僕を鼓舞しています。ということなんだろう。
カッコ仮の結論。