かっこつけたい気持ちが写真にばれてる件について!僕はなんでカッコいい写真撮ってるんだろうなー。もっと力抜いて自分の面白い写真撮ればいいのになーできないはずはなくて、なぜなら僕は自分なんだから、自分の喜ぶことを自分で探ればいんだけど。やってみよ。今日写真撮りにいこうかと思ったけど、トーテムポールフォトギャラリー行ったら渕上さんがいて、話してしまって写真撮りに行けなかったよ!有意義だったけど。まあ明日行こ。
渕上さんと話してて思ったんだけど、やっぱり僕は、どこまで行っても最終的には、自分の面白のことしか大事にしてない。人に影響与えたいとか、世界を良くしたいとか、これっぽっちも思ってないぜ。なんなら平和に自分の世界で生きてる人には、いやがらせしたいとすら思ってるよ。自分の生きてる世界が本当の世界だって思ってる人、いるよね。全然好きじゃない。
夢の話
「俺は俺というおもりを下ろした方が、好きな場所やより遠くへ行ける」
夢見たんだけど、奇跡的にその時の言葉を覚えていた。日記つけてるのが影響してるのかな。いちぞーさんが出てきたよ。そして夢の中の彼の名言。会ったこともないのにね。なんか憧れてる部分があるんだろうね。
自分にこだわるってのは、なんか自分の自分イメージみたいなのが自分の中にあって、それに沿ったことをやってしまうことだとして、僕だとなんだろうな。多分道で撮るスナップが自分の本質だと思ってるっぽい。だから新世紀にはそれを出す。いろいろ思いつくんだけど、それ以外は全部傍流と位置付けてるっぽいね。道で撮る写真はフィジカルだしそれなりに大変だから、まあ1番のコアだと思いたがるのは、よくわかる。だけど、根本がどこかなんて本当はわからないし、自分のその都度の心の動きみたいなのをいろんな方法で写真にしてくことしかできないんだから、決めなくていいっちゃいいんだよな。なんか手練手管を使った写真は自分じゃないとか、思っちゃってんじゃないかな。
気持ちやイメージが先にあって、それを写し取るための写真、って考えた方が楽かも。シリアスな気持ちじゃない時は、シリアスじゃない写真撮ればいいじゃないか。どれだって自分だし、自分であることすらもどうでもいいっちゃどうでもいいよね。
みんなによく思われたいと思うことすらも、僕の一部だよ。面白く思って欲しいってのも、僕の一部だ。全部否定せずに、やってけよ。と思った。