1.3万円ですが良い感じでした
お花も孫一同ではなく
少しでも花が多くなるように
従兄弟たちとは別に
兄と姉と3人で出して
従兄弟は従兄弟で出しました
金曜日の夜に亡くなったこともあり
土曜日は仮通夜で訪問者もおらず
私も斎場で寝泊まりして
線香当番をしました
日曜日の通夜には親戚たちがたくさん
集まり、受付もしつつ
親戚挨拶もしながら
手伝いもしつつと
本家に女手が従兄弟のおばさんしか
いないので姉と2人で飛び回ってました
兄にも実は
7年ぶり
従兄弟も
10年ぶり
くらいだったのですが
やっぱり血の繋がりはあるから
気まずくもなく
おばあちゃんのおかげで
久々に集まれました
私は生まれた時から母子家庭で
保育園の送り迎えも
放課後に暖かい家に帰ってこれたのも
夏休みや冬休みなども
全部おばあちゃんが私の面倒をみてくれて
本当におばあちゃんっ子でした
おじいちゃんが入退院してた時も
おばあちゃんと一緒に看護して
おばあちゃんの認知症も私が一番最初に気付き
それでも私が留学することも
韓国人と結婚することも
全部おばあちゃんはいつも
私の意見を尊重してくれて
反対されたことはありませんでした
小さい時は
ピアノ、お習字、硬筆、三味線、
民謡、バドミントンなどなど
母子家庭だからとばかにされないよう
全ておばあちゃんがあれこれ
手伝ってくれてました
とにかく無条件で私に愛情をくれた
私の大好きなおばあちゃん
せっかちな性格だったからか
最期はおじさんが到着する前に
さっさとおじいちゃんが見えたのか
息を引き取ったと聞きました
なんかおばあちゃんらしいや
なんて家族では話しました
生前おばあちゃんが好きだった
おてもやんの博多人形と
おばあちゃんが作った手まり
一番大きい手まりは作りかけで
作りかけたまま認知症になったので
10年以上完成することは
ありませんでした
棺の中には私の手紙や
おばあちゃんが好きだった
シュークリームとみかんと
おじいちゃんが好きだった
みたらし団子もおじいちゃんと
一緒に食べれるように中に入れて
生け花の先生もやってたおばあちゃんは
盛大なお花たちに囲まれて
おじいちゃんの元に旅立ちました
おばあちゃん
おじいちゃんに会って
2人が最初にデートしたとこには
もう行けたかな?
我が家は先祖代々
同じお寺さんにお願いしてるのですが
人々は生まれてくるとき
本人は泣いて
周りは笑っておめでとうと言ってくれる。
最後は周りは泣いて
本人は微笑んで行く。
これができれば何よりも
素敵な人生を謳歌した証拠です。
そう聞いておばあちゃんの
人生は良い人生だったのかなって
思えました
これからはおばあちゃんのいる日本に
帰ることはもうないけど
おばあちゃんとおじいちゃんが
一緒に私の側にいると感じながら
たまに親孝行しに日本に一時帰国
しようかなと思えました
そんなんで私バタバタしておりまして
ピンナコリアの返信も
遅くなってしまい申し訳ないです
また
ピンナコリアのショップ
新作たくさんあげてます!
是非覗きに来てください