ここ最近、聖書とそれに某教においてそれに準ずる書物を読んでます。
最初にことわっておきますが私は今のところ神様を信じる予定はありませんのでw
正直ちょっと超越した何かを強く信じるという感覚を体験してみたくはあるのですが、
もともと若かりし日は無神論や虚無主義思想に傾倒していたこともあり、
今ではそう強く神という概念を否定したりとそういう気持ちも無いのですが、
信じるつもりもないです。
今の私にとって神やそれにまつわるターム(天国など)といったものは
信じる人間のところには存在するし、
信じない人間にとっては存在しないものだと思っています。
ぱっと見の感想としては、
意外と文学的価値のある文章(押韻や比喩など)であるということです。
東西に関わりなく見られる原始的なそれぞれに対応するもののある二元論(天と地、父と母など)。
そして叙事性が高いということ。
物語として読むにもそれなりに面白い文章だと思います。
ただ旧約聖書の大部分は夥しい人名とその歴史等の記述なので、
文章的には清潔なのですが正直めんどくさいw
そして冒頭に書いたそれに準ずる(ある教派において)書物ですが、
これも物語としてそれなりに興味深く、
聖書と対応させて読むと面白いです。
これは一応その著者が掘り起こした金属板に書かれた文章を英語に翻訳したことになっていますが、
これの書物を信じる人はこの書物は聖書に精通した人間なら自分で書けるかもしれないという可能性を疑ってみたことがあるのだろうかとふと思ったりしました。
私はこれが偽物だと言いたいわけじゃないんです。私にはそんな権利も証拠もないし、どちらが事実であるか分からないけれど、本物であるという証拠も無いと思うんです。
何を以って真実だと断定するのか。
聞いてみたいけれど聞いたら怒られそうw
その書物の中の神様は人を裁き、人を呪い、滅ぼす神様。
でも神様を信じて戒律を守って一生を終えれば救ってくれるそうです。
印象としては超民族ユダヤ教的な感じです。
んで他の教派でもそうでしょうけど、
信じないと救ってくれないんですよね。
じゃあ救ってもらわなくて結構ですと私思うんですけど。
よしんば私が神様を信じて、信じない大切な人を死ぬまでに何とか説得しようと努力するとします、でもその子は最後まで信じなかった、それで私は天国に行ける権利を手にしていたとしても私なら大切な人と一緒に地獄に行きたいです。
それはいいとして、
私の聖書に対する認識は最初から単に人倫や道徳に関する書物、人としてのルールブック的な色彩が強く、新約にしてもイエスという哲学者による広義の哲学書なんじゃないかなと思うんです。
これらの本を読んで思ったこと、
愛とは差別をすること。
愛とは自分にとって大切なものとそうでないものを分けること。
神の愛でさえ差別をするということ。
その書物の中で律法がなければ罪悪もないと書いてありますが、
愛が無ければ憎しみもないんです。
分かってらっしゃる。
あ、余談ですけど絶対相対主義ってものすごい矛盾を孕んでいる理論ですよね。
「絶対のものは存在しない」という命題が真だとして、
この命題も絶対では無いですよね。
「絶対のものは存在する」という命題は仮にいくつも反例があったとして少なくとも自己矛盾はしないですよね。
これ誰か解決してる哲学者とかはいないんですかねぇ?
私は今でも相対主義支持なのですが、手放しで絶対相対主義を支持する論拠がないですから、難しいですね。
長々とすみません、何かひきますよね、こういうこと書いてw
m*x*では書けないことですw