※ネタバレ的な内容があります。








清貧、という言葉を思った。

清く貧しい・・・いや違う、貧しくないのだ。

豊かなのだ。少なくとも精神的には。モノをどのくらい持っているか、金に余裕がどのくらいあるか、いかに最新の情報を最速のスピードで得られるか、それを競う世間様がうらやむ様な彼の優しい眼差し。現に彼は行く場所出逢う人に愛され大切にされている。心が心を引き寄せる。
















豊か過ぎる所から今の暮らしを選択した彼だから、達観しているのかもしれない。その選択しかない民には不満でしかないのだろうか。置かれた環境が人を作るのひと言で一刀両断するとしたら、話し合いは決裂する。私は元々各人が持っていた素養ではないかと思うが。だから同じ環境で個人差が現れると。マウスの実験では得られない。遺伝子の記憶が複雑な人間だから現れ方が複雑なのではないか。


「○○は△だから□に違いない」の様な、想像でひとまとめにした批評は「ふむ、そんな見方もあるのか」くらいにしなければ、視野を狭めてしまう。


いつも木漏れ日を見つめている彼だから、葉が重なると繊細な影が出来るのを知っている。それぞれの価値観と精一杯で社会が構成されているのを知っている。俯瞰しているから自分以外のものと距離を置き、尊重出来る。


わかっている。これは映画だから美しいのだと。現実は目も当てられない惨状の連続なのだと。惨状の場面が出てこなかったのは、元々キャンペーン映画だからだ。でもいいじゃないファンタジーだって。デザイナーズトイレで文句ひとつ言わず完璧な仕事を成し遂げる、カセットテープのエモい洋楽と白髪まじりの口髭と古本屋で仕入れた文庫本を愛する、幸せそうな笑顔の男が居たって。


特筆すべきと思ったのは、石川さゆりママの歌うあの曲だ・・・気になる人は観て欲しい。





 





観たがっていた九十一歳の母を連れて行けたから満足だ。