みんなの回答を見る



炭状Bなので発表しますが漫研でした。
新設高校だったので、先輩が創設したのです。私の学年で三学年揃いました。顧問の先生のなり手がいなくて、地学のじいさん先生が最後の最後に引き受けてくれました。
先輩や後輩でプロデビューした人もいます。あ、同期でもいます。私は読み専に近かったです。人体が苦手なのでシリアスは無理でしたね。
会誌もコピー機有るところをあちこち回って、少しでも安いところを探して作りました。 持ち回りで編集当番があり、原稿依頼、会費徴収、レイアウト、編集後記、穴があいたスペースを埋める作業…。

今の子はパソコンで全部やっちゃうんだろうな。でもあのアナログの非効率さが懐かしい。あ、今ちょっと泣きそうになりました。


文化祭で描いたポスターにいたずらガキにいたずら書きされたのがショックでした。貼って間もなくなのに…
ペン持って歩いてんのかよ!鼻毛とか色々描きやがって!もうキーキー怒りながらポスター剥がしました。あ、今怒りが込みあげて来ました。

卒業して数年後に友達と母校の文化祭を見に行ったら、アニ研に様変わりしていて落胆しました。もう見に行きたくありませんね。




追記
漫研だったと書いてしまったので仕方ないのですが、私の絵に期待しないで下さいませ。私は周りの数人がプロ志向の実力者ばかりで、漫画が読めるし面白そうという理由でそこにいた底辺者なので、引け目を感じながら在籍していました。他の皆さんの様に画力向上の為の努力すらしませんでした。ただ、編集作業は苦しみながらも今思うと楽しかったですね。後にエディトリアルデザインに興味を持つきっかけにはなりました。そしてあの時代を思い出す時、一緒に作り上げた何かがあるのは幸せな事だと、今になってわかるのです。