私は、何でもパスワードが違うとかで、便利アプリにログイン出来ない状態なので、記事をカラフルにしたり、誤字を直したり、テーマを変更したり出来ません。もうめんどくさいので、「文字は同じフォント、同じ大きさ、同じ色、間違いは記事ごと削除するか、コメントで訂正する。」で通しています。



朝の折句は、これが正しい文章です。心苦しいままに書いたので、凡ミスをしました。訂正しておわび致します。



それにしても色々考えさせられます。私の持論で恐縮ですが、「言葉を語り文章を書ける者は、何かしらひとことでいいから発信するべきだ。」と思うのです。そしてその発言に匿名ながらの責任を持つべきだと、強く思うのです。

でも、対称の存在が、注目されたいという目的を満たすのに、加担してしまう畏れもあります。そこがネットのジレンマです。ただこれも持論ですが、無認識や、無理解や、無関心というのも一種の暴力ではないか?と考えます。長年かけて育て上げられた、人間性破壊を正当化する存在は、敵だ闇だとこぶしを振りかざすのみでは、ますます頑なになるでしょう。解決策は何かあるはずです。単純な問題ではありません。実は私にも分かりません。デカイ事を申して、恥じ入ります。






かなしみの朝
なみだ伝うけれど
しる努力をやめるな
みる眼(まなこ)を塞ぐな
のぞみを決して失うな
あきらめの心を棄てよう
ささやかな祈りを込めて