いくつかの教育関連のブロガーさんから、ペタやいいね!を頂いております。誠にありがとうございます。ペタ返しやいいね!返しをしたりしなかったり、また商売ブログかも?と勘違いして削除したりしちゃったかも。お詫び致します。教育のプロフェッショナルの先生方には、私の戯れ言など何の参考にもならないかも知れませんが、読んで頂けるだけで光栄です。


常々、言葉の力は生きる力ではないかと感じております。成長過程で感情や衝動をもて余した時、言葉に出来る者とそうでない者とでは、そのあとの行動に差が出るのではないかと。

話題の書籍は、この本を読んだ人はこんな本も読んでます!と教えてくれます。親切ですね。無駄を排除したシステムです。でもそうなると、ステレオタイプの人間がいっちょあがりしないのでしょうか?そんな事ない!俺はオリジナリティを大切にしている!と主張するならば、これは老婆心に過ぎませんので聞き流して下さいませ。

似た視点で、ネットでググるより、目的に特化した内容ではないけれど、無駄に寄り道しながらじっくり調べ物をしてみたならば、与えられた情報以外の、当人だけのお宝をゲットできる気がします。これも時代遅れのノスタルジィですかね。


こんな内容の新聞記事を読みました。

幼子が、オモチャの取り合いをした。母は「貸してあげようね。」と、良かれと思って先回りする。幼子は、悔しいとか悲しいとか、まだ自分のモヤモヤした感情に名前が付いている事を知らない。この場合、「オモチャを取られて悔しかったんだね。」とか「返してもらえなくて悲しかったね。」などと幼子の抱えた感情に名前がある事を教えてあげ、そのままの感情を受け止めてあげると、ただ泣き叫ぶだけの困った状態から早く脱け出せるらしい。悔しい、悲しい、憎い、と言ったネガティブな感情を一度味わわせた上で、それを表現出来る術を身に付けさせないと、コミュニケーション力が育たない、と言う。


なるほど、そうかも知れません。でもその情報すら、母を右往左往させるものであってはならないと思いました。何が正解なのかは、誰もわかりませんね。