何年か。。。私の心奥底に
いる悲しい感情の告白です。

※過去記事より

医療現場の皆様に
願いも込めて。

命の尊さを忘れて欲しくありません。


これは、私の家族が
不慮の事故により
生死をさまよった
時の出来事。

ドクヘリで
運ばれ、緊急オペ。
意識朦朧としながらも
家族への思いやりを
忘れなかった弟の
言葉。

「ごめんね、◯ちゃん。」
「◯子と、◯子。。」

自分の身体は動かない。
息もできない。

死を覚悟したでしょう。。

私と、お嫁さんも
ER 看護師。

ドクターの言ってることから
もう、本気でダメだろう。。
覚悟した瞬間。

父と、母は何もわからない。
わからないから余計に
パニック。不安。
何もできない夜。

とある親しいドクターに
弟が死んでしまうかもしれない。。

私はただ呆然と
そう話をするしかなかった。

返ってきた言葉。
自業自得。
目が覚めたときに
死にたいと言われたら?
迷惑だよね。


この言葉。

その時は怒りすら、
言葉すら、失いました。
理解できなかった言葉
だったからです。

4年の月日が流れました。

私は、この言葉を
思い出したくもありません。

父母には未だに言えません。

誰が自業自得か?
不慮の事故、障害を負った
本人。家族。

遺族。

この言葉は
私の生涯で忘れることが
出来ない。

唯一手が震える

どこにも当て付けようが
ない怒りの感情が押し寄せます。

このドクター。
私の中では
患者や家族に
なんの気持ちも持たない
のか、ないのか。


不条理に
苦しくなることがあります。

言葉は
時には鋭い凶器
となり、誰かを
一生苦しめます。

こんな医療従事者の言葉。
あってはなりません。

医師は病気と向き合い
闘ってくれる存在なはずです。


心をみれない。
身体症状だけみてれば
勤まるなんてことは殆どの
医療従事者様ならわかってることでしょう。

患者様や家族から
2度絶望感、喪失感を
失う言葉です。


きっと、この医師は
私が患者の家族という
意識ではなく、
親しいから。という
浅はかな軽はずみな
気持ちを率直に意見した
だけのことなのかもしれませんが
今でも私と家族は深く傷ついた
言葉であり、
理解出来きません。

私の弟を執刀してくれた医師
は、かなりの敏腕医師でした。

任せろ。
私とお嫁さんの背中を
力強く叩きました。

義理妹と一緒に働いている医師でしたが
彼の言葉には
諦めないでくれ。これからなんだ。
という、強い意志と、
執刀しながらも私達の心まで
支えてくれたたくましさがありました。


自業自得などと
この4文字で
私の心を
ズタズタにした医師は電話口で笑っていました。

医療現場に
確かな技術と清らかな心を持った
医療従事者が増えることを切に
願います。


弟もいつ命を落とすかわからない
状況でも必死で生きることに
前向きに、家族の為に
笑顔でいるんです。

それは、近くの家族にしか
弟の本心を見抜いて
やれないのかもしれません。



医師も、看護師も
命を預かるスペシャリスト。

だから。
医師という、看護師という資格に
自覚を持って欲しい。

身体的医療、精神的医療
は同じくらい大切な医療です。

ここに来てまた思い出しました。
家族がいるんです。大切な。
同等な生活、歩み寄りの優しさ
感情ごなしに当てつけ、大切な
人まで言葉で経済力で
苦しめることは暴力と
変わりはありません。

ニュースで父親が
子供にろくに食事も与えない
 外面だけよく見せて、
経済的困難、権力で自由を
封じ込める。胸の詰まるニュース
です。私が裁判官でも
肉声を聞けば号泣し、心が
破壊されます。

身体は傷があれば
周りから理解を得られる

心の傷は見えなく
無残にも誰の力も借りられず
弱者は崩壊する。

理不尽です。
子供の福祉を考える大人が
十分な収入があるにも関わらず
与えない。皮肉にもそれは家族から
連鎖する。

悲惨な出来事が
次から次へと
起こる世の中。

最近でも虐待やDVも
こうして弱い者が消えてしまう
ニュースが後を絶えず、、
私はどんよりします。

綺麗になりたい。
女性でも男性でも
お肌と共に心も
そうであってほしいと
思います。

だから私は自分が
窮地でも、貧困でも
他もそうなら、
手を貸したいと思います。

自分さえ良ければいいとは
思えないからです。


エリザベスキューブラロス


今まで出会った中で最も美しいと感じたのは、挫折や苦しみ、誰かを失う悲しみを経験し、そこから這い上がってきた人。彼女たちは人生を本当に理解している。人の儚さ、他人とより良い関係を築くためには相手を尊重し、常に優しく、そして愛情深くあることが重要だということを噛みしめて生きている。美は1日にして成らずなのよ。