自衛隊が実弾を用いて対応したのは

 ①谷川岳遺体収容の為のライフルによりザイル切断 

②航空自衛隊のF86によるトド退治

③火災のタンカーを魚雷?攻撃

昭和30~40年代の出来事で、空自だけでなく陸自もトド退治に出動しています。 以下引用 今や希少海獣として保護の対象にあるトドだが、昭和三〇~四〇年代、北海道や三陸沿岸では、彼らの”悪行”に困り果てた漁民らが自衛隊に泣きつき、機関銃で退治していた。 トドは年末~春先にかけて姿を現す。だがスケトウダラやサケ・マス漁のシーズンと重なり、定置網や流し網を破って、魚を食べてしまう。これを「食害」というが、漁民にとっては死活問題。このため自衛隊が「災害派遣」の延長として乗り出している。 たとえば、昭和三十四年三月二十六日、航空自衛隊の三沢第三飛行隊(当時)のF86F戦闘機が地元の海岸に出動、トドに対して機銃掃射を行っている。 また、昭和四十三年一月二十八~二十九日には、北海道北部の羽幌町で、陸自第一特科団が十二・七ミリ四連装対空機関銃「ミートチョッパー」を数基海岸に並べて射撃し、射止めた一トン以上もあるトドをクレーンに吊るした写真も残っている。 こうした「トド被害」は国会でも問題になり、事実昭和四十二年五月二十五日の参議院農林水産委員会の議事録には、「自衛隊にお願いして、訓練という名目で、彼らの集まる”トド岩”めがけて一回撃ってもらうと何ヶ月も戻ってこない」と、地元議員の切実な叫びが記録されているほどだ。 (「丸」04年7月号 『ミリタリートリビア』集選P133より)

 

ところが、過去に害獣対策で自衛隊が出動し、武器が使われた事例もいくつか存在する。F-86戦闘機まで投入された北海道日高地方のトド駆除が有名だが、戦車まで出動し、小中学校の生徒が自衛隊車両で送迎され、自衛隊も駆除に駆り出された熊害事件もある。ところが、事態の切迫度に比して知名度が低い。自衛隊による害獣対策としてこのクマ駆除事案を取り上げたい。

〈戦車が二台、ものすごい土煙をあげて進み、そのあとに広瀬二郎一尉がひきいる第二十七普通科連隊の精鋭二十四人がつづいた。部隊は完全武装し、機動力はトラック四台、ジープ一台。本隊と結ぶ無線機は、ひっきりなしに鳴りつづけた。部隊の到着を、部落は不気味な静寂をもって迎えた。部落民は、まだ日のあるうちに畑仕事を切りあげ、しめきった家のなかで息を殺していた。

「まるで戒厳令だなあ」

 広瀬一尉らは、クマの襲撃にそなえ、部落の守備隊として進駐してきたのである〉

 これは北海道標津町の古多糠部落(集落)に自衛隊が進駐する様子を伝えた「週刊読売」(1962年11月4日号)の記事の一節である。

 

1962年は、道東でヒグマ被害が相次いだ年だ。十勝岳が6月に噴火したことで道東の広範囲が降灰に見舞われ、夏の長雨もあって、クマの食料が不足していたと見られる。特に標津町では秋に入ってクマ被害が多発しており、酪農を主要産業とする標津町は熊害対策本部を設置し、根室支庁を通じて陸上自衛隊第5師団の災害派遣を要請した