救済し得ないもの | 沖縄に猫とダーツと林檎を連れて移住しました

沖縄に猫とダーツと林檎を連れて移住しました

2011年、単身沖縄に移住してきたナイチャーの日々とか考えとか。

ニート。

学習意欲にかけたエンジニア。

TV大好き、マスコミ盲信な人々。


私は、これらは救済し得ないし救済しなくてよいと考えている。自業自得というやつだ。救済は無駄な努力。私は、無駄な努力というのは徹底的にしない主義だ。


変わる気のない他人を変える、それは無駄な努力と考える。だからやらない。仮にそれが肉親であっても。今の時代、諦観はとても大切な生存の知恵だと思う。


そしてもう一つ。
2011年、別の国に変わった日本を認識できず、なんだかんだと言いながら結局汚染に対応した的確な行動を取れなかった人々。

そう、「取れなかった」というべき時期に来た。

こうなる予想すらできなかった人々には、現実の行動に移すのは酷だったことだろう。が、結果がすべてだ。能力のなさに甘んじて現実を変えられなかった結論に今更嘆いてもなんのメリットもない。気づいていて行動に移せなかったことを悔やんでいるのも価値は同程度だ。

そして、それらが大勢を占める日本という国。これも救えない。終末は見えてきている。別に私は変な宗教にかぶれている訳ではないが、大変ありがたいことに、ごくごく普通の判断を下し行動に移せる危機回避能力に恵まれていた。その結果、終末が見えてきたというだけの話。

セシウムミルクを飲んで、多数の赤ん坊たちはスクスク育つのだろう。結果がどうなるかは考えるだに恐ろしいが、現実そうなっていくのだろう。今、それを現実にするための基盤が着々と築かれているのだから、因果関係は明白だ。

単純な話だ。どうするも自己責任。


高い確率で、私は20年後位にこの国の末路を外国語のニュースで眺めるのだろう。いや、その時はもっと早く訪れるのかもしれない。