どうもここの所、スローイングがやや危ない状況におかれていた感があったのでハードでじっくりと確認などしながら、のんびりしていたところ・・・
オーナーの奥さんが登場。何か大きなダンボールをてんちょーに運ばせてきたw
どうやら、常連さん(自分含む)から注文をとっていた3GDFの服が届いた模様。てんちょーに声をかけられ、パーカーの代金を清算。届いたのはこれ


神奈川県内各ダーツバーのロゴ入り。限定品ってことです。てんちょー写真撮ってくれてありがとね。
まさに歩く広告塔ですなw
もしアメブロガーの方と投げに行くなんて事になっても、コレ着て待ち合わせにいけば一発でわかりますねw
このパーカーのいいところは、軽めに出来ているので着ててもフツーにダーツが投げられること。予想外に寒かったので、帰りはスーツの下にコレを着こんで帰ってきました。万一、今夜市営地下鉄で奇天烈なカッコした奴を見かけた方がいらしたとしたら、私ですそれ(;´Д`)
さて、それは良いんですが・・・ダーツのほうがかなり深刻な状況になりかけました。
以前一時期、ちょっと前まで普通にハット程度は出せてたのにもかかわらず、突然腕が振れなくなりアウトボード連発するという、意味のわからない常態になったことがありましたが・・・それが再発。
このBlogに書いてあるように、ほんの昨日までは割と普通に1501をクリアできる程度は投げられていたのに、Bullに投げてもD15なんかに入ってしまう、まさにわけのわからない状況に陥り・・・20Rで800点残し、などという信じられない状態に・・・
まあ、一時的な「イップス」現象なのかもしれませんが、それを自ら認めることの危険性はよくわかっているので、決してその言葉を口にはしたくありません。それを納得してしまえば、それが自分の通常、日常になるから。これは精神論などでは決してないです。認めることは受け入れること。
とはいえ、一度パニックに陥った状態はそう簡単に打破できるものではないこともまた事実。まずは心理的な安定を図るため、一度投げるのを中止。
飛行機で言えば、まだ完全に回復不能な錐揉みに入ったわけではない。エレベータを押し下げて主翼の揚力を回復し、ラダーペダルを逆に蹴っ飛ばして旋転を止め、しかる後にエレベータを慎重に引き、機首を引き起こして水平飛行に移ればいい。
そんな明確な単純な何てことない、思い出せばバカみたいな手順があるはず。パイロットが平静を失っているのならば、冷静に状況を見ることの出来る管制に頼ればいい。ここはてんちょーに頼ろう。
仕事を終えたてんちょーに頼んで、ちょっと場所を変えて修理に付き合ってもらうことに。場所を変えることで心理状態をリセットする効果も期待できるし、電車に乗って歩いて、凝り固まっていたスローのネガティブイメージをいったん払拭することも出来るかもしれない。
そんなわけで、上大岡。てんちょーからまず出たのが、「まずはフォローだけを意識するように」投げるというもの。
「この空間に手を通す」「ここらへんにフォローする」だけを意識してスロー。グルーピングはまだ壊れているし、1/3の確率であらぬ方向にすっ飛んでいくダーツ。が、そんなことに意識を持っていかれてたまるか。集中すべきはフォロー、フォロー、ひたすらフォロー。
「ここに手を出す」「ここに手を通す」、「どういう風に出す?」「出した時の最終形はこうじゃなかったか?」
「そうだ、この形になってるときの押してく感触はこうだったはずだ」
バラバラに分解していた一つ一つのパーツが、ジワジワと組みあがっていく。
「よし、グルーピングしてきた」「なんでそっちに集まるんだ?」「この体勢がそっちに投げてるからだろう」
「腕の向きが遊んでる、ロックできてたはず、背中に壁があったはずだ」「あ、今軸が一致したスローが出た」「なら軸の向きはこうか?」
ハット!
今の1スローは確実に元のもの。すがりつく。その状態に。なりふりかまわず。
まだ怪しい。でも今は大きな単位のことをやっている。グリップとか小さな単位のことはあと。逆説的だけど、まずはフォロー。これ。これだけ。
Bull-Bull-ハズレ。問題なし。外した1本もグルーピングは許容範囲。
カウントアップ、600弱。問題なし。そのまま何も考えずにスローを繰り返す。
501-Cri-Cri、STATS40台、2.7弱、1.5強。入らないけどグルーピングは良し。狙い方だけ。調整だけ。壁を作って腕を出す。焦燥で寒い中いやな汗をどっさりかきつつも、再びなんとか見えてきた。
いつか焦りも霧散し、ドッと疲れが出ながらも自分のスローを取り戻してきていた。
今日この状態から抜け出せなかったら、ダーツを二度と触りたくなくなったかもしれない。
てんちょー本当にありがとう。今日のことは決して忘れずに、もう見失うようなことのないようにしよう。
そして誰かが自分のような状態に陥った時、願わくばそれを助けてあげることが出来るようになっていたい。