丸子実業高校に進学し新しい仲間が出来ました。当初の陸上部は特別に強いというわけではなく、〇角、〇池、私の加入により駅伝チームを組める学校になりました。〇川監督の指導のもとで駅伝での形になっていきました。私を引っ張ってくれた〇島先輩、〇内先輩、〇村先輩には面白おかしく面倒を見てもらい楽しい日々を送れました。そして、過去に卒業していったOBの〇林(現在→アート梱包運輸、上田市駅伝部エース)さんや〇沢(現在→上燃)さんももたまに顔を出して練習等で一緒に走ってくれました。高校駅伝や新人駅伝では著しい成績を収められませんでしたが長聖高校と同じ土俵で走る事ができ満足していました。最後のインターハイ予選は東信どまりで終わってしまい、最後の夏が終わり、燃え尽きずにこの悔しさを秋の高校駅伝と長野県縦断駅伝にぶつけました。最後の高校駅伝ではエースが集う花の一区で33分7秒で区間6位、長野県縦断駅伝では13区の善知鳥峠(うとうとうげ)で勝負をかけ区間5位で走り先行する上伊那を捉えて3位で〇池に襷を渡し、丸実リレーとして翌朝に信濃毎日新聞に掲載しました。この年の上田小県は過去最高に並ぶ4位になりました。この駅伝で中学区間(18区)で初出場した依田窪南部中学校出身の〇久(現在→シナノケンシ)も区間4位と健闘しました。この長野県縦断駅伝で彼と初めての対面でした。この先、彼とは今後大きな関係なるとは思ってもいなかったです。私にとって長野県縦断駅伝は高校時代最後の一生の思い出になりました。卒業後も陸上を続けようと決心しました。これがきっかけになり陸上に対しての意欲がますます湧きました。
卒業後は地元企業の明治食品に就職しました。
長い長い社会人生活の始まりです。
次回は感動のフィナーレです。ご期待下さい。

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長い長い社会人生活の始まりです。
次回は感動のフィナーレです。ご期待下さい。


