仏像や神社の神様、お墓の有名な人などと、
自分の心を1つにするというヨガ(瑜伽行)をしていると、
それぞれの主からパワーをもらったり、何かしらの技を学んだりして、気功のような魔法めいた事が出来るようになると、
何か悪いことに使いたいという欲求、いわゆる「魔がさす」ということになりかねません。
その解決策として、中国天台宗の智顗は”魔佛一如の止観”というのをオススメしています。
下から立ち上ってくる魔(欲や煩悩)と天から降りてくる佛(智慧や慈悲)を自分を中心に激突させておくことで、自分と相手、そして宇宙の三方に良いヴィジョンが見えたり行動ができるというものです。
魔境に落ちて妖怪のようになって苦しむのを防いでくれるそうです。
即身成仏や梵我一如、三位一体、他力本願もこれに近いものがあると思うので、好みで試してみるのがいいのかもしれません。
ただ魔佛一如で見えたヴィジョンや行動が社会常識や倫理の枠に収まるかといえばそうでない時もありますから、世間から変な人と思われる可能性があります。
例えば先日、ホームセンターに行って、ちょっと他力に自分を任せたらどうなるか試したら、ホームセンターで急に踊り出したのでびっくりしてすぐやめてしまいました。
自分を他力に任せるのは私にはまだ勇気がいります。他力に任せず魔に入らないようにするには単純に倫理観を保つということになりそうですが、そうすると生命の自由度という意味では下がるでしょうがしょうがないですね。
場面、場面で使い分けるといいかもしれません。
写真は映画「空海」のワンシーン。
遣唐使は2分の1の確率で死んでしまうと言われても
「私は死にません。」
と超然と答えるシーンです。
まだ即身成仏してない頃のエピソードですが既にかなり他力がかってますね。
さすが空海恐るべし!
