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中国汚染 

中国汚染――「公害大陸」の環境報告 (ソフトバンク新書 69)中国汚染――「公害大陸」の環境報告 (ソフトバンク新書 69)
相川 泰

ソフトバンククリエイティブ 2008-03-15
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このタイトルで、『「公害大陸」からの環境報告』という副題も付いているので、オドロオドロ・ジャーナリズムのものかと思ったら、中国環境問題が専門の鳥取環境大学准教授という人が著者だった。前に読んだ『環境共同体としての日中韓』の中国を担当した人だそうで、とかく政治、思想、経済といった事情に左右される環境運動を普遍的なものにしていこうとする立場にある様だ。一昔前は中国で「環保」というと、西洋にかぶれた連中を意味していたこともあった(日本でも当時人気の鈴木保奈美が反エコ主義で話題になった)のだが、最近活発になった「環保」の中国化は、それがまったなしの状況になったことも、西洋的な市民意識が確立したこともあるだろう。とはいえ、やはり政府が、経済的成長より、公害対策にベクトルを向けたことにより、利益追求型の大企業を苦々しく思っていた市民にそのお墨付きを与えたということが大きい楊に思われる。周恩来が水俣病に関心を寄せたことが中国の公害対策のスタートだったらしいが、それを思えば、この辺にも環境版「新左派」と「新自由主義」の二項対立の構図が見えてくる。「公害大陸」の現場報告は、もはや多少のことでは驚かないのだが、政府としても、それが中央批判に向かわない限り、報道が征伐することに期待しているフシもあろう。そうした中国人の「環境」をめぐる意識の変化などは興味深い。なんでも中国の環境法は日本より先進的なものだそうで、日本語が読める中国人研究者はとかく、そのことを自慢するそうだ。問題の根は法に人が追いつかないことであるが、ステレオタイプした感もある「法治社会」と「人治社会」の縮図が、ここにも見られる。中国と日本との関係において、中国が被害者になることはあっても、加害者になることは考えなれないという中国人の感情が議論を難しくしている話もなるほどである。日本の公害被害者だけでなく、中国の公害被害者を招き、中国政府関係者の前で報告させたということはたしかに画期的なものだったろう。市民同士の連帯というアナクロ的な手法は、双方の政府や企業が「グローバル戦略」の中で野合している以上、それと対峙する上で必要なものなのかもしれない。
★★★