僕は在日「新」一世  | 新書野郎

僕は在日「新」一世 




ヤン テフン
僕は在日「新」一世 (平凡社新書 397)

ニューカマーの韓国人は、在日より親日であるとは、よく言われることなのだが、この著者が堂々と在日「新」一世を名乗るのも、在日とニューカマーの間の微妙な関係が背景にある様だ。「ポスト在日」は、通婚同化で消え行く在日三世、四世ではなく、今や二世が登場しようかというニューカマーが担うことになりそうだが、そこで日本人は「強制連行」の頚木から解放されるという訳にはいかないだろう。著者は海外自由渡航解禁世代で、それ以前の「密航」系が「在日」に収斂されたのに対し、あくまでも「自由意志」で日本に来て、残った以上、それほど日本に対する気負いも敵意も存在しないのは当然だろうし。むしろ最後の「反共教育」世代であるからにして、日本に自由の空気を感じることもある様だ。日本に来た著者の受け皿が在日社会であった様に、現在の韓国人の留学生などはニューカマー社会が受け皿になっていることも多いのかと思う。そこにまた軋轢が生じるというスパイラルは、同胞社会を頼って、世界を渡り歩く韓国人の通過儀礼みたいなものなのだろう。著者の様にそこから抜け出し現地社会に溶け込むことを韓国人の価値観では是としているのかどうか分からないのだが、少なくとも、アメリカ人になることは賞賛されても、日本人化することは非難される向きが多いのではなかろうか。その意味で、「嫌韓流」の徹底批判などバランスをとる必要があったのかもしれないが、実は林信吾にうまく嵌められたのかもしれない。