北朝鮮に備える軍事学

黒井 文太郎
北朝鮮に備える軍事学
軍事学というのは非常にオタク度が強い分野らしいのだが、大体どの本でも「巷の常識」を否定し、「自説」の正しさを素人と「専門家」の「知識」の差で説明しようとするものが目立つ。この新書もその類型ではあるのだが、そうした独善的な軍オタの世界を自覚しながら、一般向けの啓蒙を意図としているので、類書に比べたら読みやすく、「素人」と「軍オタ」の垣根を越えた説得力はあると思う。軍オタは右翼ではなく左翼が多いというのはTとかHとか、時にトンデモ扱いされる「評論家」をみても、分かるのだが、左翼でも、右翼でもない軍事オンチの私などが説得力を感じるのは、著者のその現実主義的側面。いわく北朝鮮が戦争を仕掛ける可能性はゼロ、北朝鮮が日本の防空網を突破する可能性はゼロ。核兵器が使用される可能性もゼロというのは、現実的に正しい見方だと思う。要するに北朝鮮が日本に侵攻する可能性がないということを出発点にした備えが必要なのだということである。唯一可能性として残るのは「暴発」だけということになるのだが、そうなると米中韓がやっている様に金王朝の温存というのが軍事的には最善の選択になってしまう。その意味では国民感情に配慮しながら、北の暴発を防ぐには、拉致問題に進展がない限り、決してカネを出さず、総連や北の代理人のわめき声を放置プレイとするというのは正解だと思う。しかし、どこかで侵略されてみたい症候群は日本人に存在するのではなかろうか。村上龍も書いたし、村上春樹も人民解放軍に日本が占拠される夢をみている。その日が来たら、日本もようやく一方的な悪者の立場から解放されるだろう。中韓が世代を超えて楽しんでいる抵抗の愉しみも体感してみたい。中国脅威論も北朝鮮の脅威もそうした秘めたる願望に支えられているのかもしれない。一方、先代の大風呂敷「抗日話」を聞かされて育った「近隣諸国」の若者も日本に侵略してほしくてたまらないだろう。つまりお互い「相手」が必要なのだ。それにしてもGHQの時代が「負の歴史」となっていないところに、日本のユニークさも感じる。中国も北朝鮮も日本で和平演変を試みたのはその辺りの読みがあったのかもしれない。チュチェ思想が日教組を取り込んだまでは、驚くべき手柄なのだろうけど、さすがに長くは続かなかった。やはり、儒教では価値観が古すぎてダメだ。何か斬新なものをもってきてもらえば考えてもいいのだが。
★★