親米と反米
吉見 俊哉
親米と反米―戦後日本の政治的無意識
このタイトルで岩波新書だけど、著者は吉見俊哉ということで、カルスタ系の本。副題が「戦後日本の政治的無意識」とある様に、「親米」も「反米」も少数の政治的扇動者を除けば、大部分の国民にとっては無意識に揺れ動くものだということを考察している。単純に色分けすれば、戦前は反米、戦後は親米ということになるのだろうが、日米関係の始まりが黒船からとしても、「親米」時代も、「反米」時代も、ごく限られた年数であった。「安保」が「戦後民主主義」の延長線上にあったとすれば、「鬼畜米英」もまた、「自由」や「モダニティ」の延長線上にあったと考えるべきであろう。60年代の世界の趨勢が「ピープルズ・パワー」なら、30年代は「ネーションズ・パワー」が世界の趨勢であった。ならば、現在の世界的な反米潮流になぜ日本は参加しないのかというところが、著者ならずとも疑問が生じる点なのだろうが、それが「戦後日本の政治的無意識」ということだとすると、やはり違和感が残る。「アメリカ」という機軸で世界を見る限り、「親米」と「反米」は「正義」か「悪」かの二項対立で単純化されるものなのだが、もはや「政治的無意識」が「アメリカ」という機軸に対する無意識を意味するという前提自体が破綻しているのではなかろうか。それを政治的後退とするか、思想的進歩とするかは、憲九を巡る不毛な争いと似ているものがあるのだが、左右問わず政治的扇動者が「アメリカ」でも「靖国」でも「憲九」でも「政治化」してしまい、「踏み絵」としてしまうことに、元来「政治的無意識」である国民は嫌気がさしていることだけは間違いなかろう。
★★