オランダ 寛容の国の改革と模索 | 新書野郎

オランダ 寛容の国の改革と模索




太田 和敬, 見原 礼子
オランダ 寛容の国の改革と模索

この寺子屋新書というのも、あまり見かけないシロモノだが、「子どもの未来社」なんてとこが出しているにしては私好みラインアップを揃えてきている。どうも教育系の人たちとつきあいがあるのか、著者もそっち系が多いのだが、オランダの場合、教育的にはモデルと成り得る国なのだろうか。究極の多元化教育を実践している国として、朝鮮学校問題を拉致問題から目をそらさす為にも、貴重な「差別」として利用している総連=日教組ラインから見れば、オランダこそ日本が見習うべきということであろう。つまり公立私立問わず政府がカネを出して運営を委託する。「イスラム原理主義」を教える学校でも公費で運営される訳で、「反倭」を教える朝鮮学校も公費で運営されてしかるべきというのが連中の主張だが、まあ我々の時代は日教組が公立の学校で「反日教育」をするのは常識だったので、朝鮮学校が公費で運営されない道理はない(過去に都立朝校が存在した例もある)。ただ、さすがにオランダでもその弊害が出てきているらしく、「寛容性」とは「無関心」と表裏一体なのではないかという指摘は至言である。このオランダ人の「寛容」信仰については文春新書の『物語オランダ人』というこわーい本があったが、文春と寺子屋の差というより、実際に外国人として定住している著者と留学で1年ほどの滞在しかない著者との「生活実感」の差が出ていて面白い。ただでさえ麻薬、売春、安楽死の合法化とかで、世界の奇人扱いされているオランダ人(ダッチアカウントの起源はそうらしいが、ダッチワイフは我が国の南極Z号と同じく伝説らしい)だが、「通りの祭り」とか「トイレのお誕生日カレンダー」なんて話で、こちらはフォローしていて、『物語オランダ人』の強烈な印象が残っている身には、ああオランダ人にもそんな人間性が残っていたのかとか思ってしまった。遂に殺人事件までに発展してしまった最近のヒルシ・アリの騒動についても触れているが、これでオランダも「普通の国」になったなという感じもした。サリン事件が起きたとき、インドネシアの新聞が、これで日本も普通の国になったという社説を掲載したらしいが、オランダも日本も、やはり「普通の国」から見て、どこか超越したところがあることは否めない。
★★