シーア派
桜井 啓子
シーア派―台頭するイスラーム少数派
ニュースで毎日の様に、「バクダッドでテロ、過去最大級」なんてことを聞いていると、30人死んだ、40人死んだ、50人死んだと言われても、感覚が麻痺して、ああまたかといった感じになってしまう。三菱重工ビルが数人の死亡だったに関わらず、歴史の一ページとして語り継がれていることを思えば、イラクでは毎日の様に、歴史が塗り替えられているといったところだろうか。しかし、何人死んだかといった事実は伝えられても、その背景は往々にして無視されるので、オツムが弱いサヨクの人たちが、みんな米軍と自衛隊のせいなのよみたいに単純化してしまうと、犠牲者も浮かばれないし、爆弾テロに免罪符を与えてしまうというものだ。とりあえず、イラクにおける暴力の連鎖を理解するためにも、この新書でお勉強する必要はあるだろう。シーア派については頭では理解していても、イランのそれ以外は紹介されることも少ないので、やはり体系的に解りたいものだ。「イスラーム革命」がなぜイランだけで成功したのかを考えるとき、周辺国や米国の極度の警戒といった事情があるものの、革命の「主体」が誰なのか、革命後、誰に政権を委譲するのかという問題がスンニ派とシーア派では異なることは留意すべきだろう。ある意味、「フセイン後」の混乱もそうしたところに理由を求められるかと思うが、「革命輸出」はほぼ不可能であるという事情も見えてくる。イラクやバーレーンといった国でも「アラブ人」というアイデンティティーはシーア派のイラン人を「他者」とするものであるらしいし、イラン系が中心だというクウェートのシーア派も、その地位を強固にしたのが、スンニ派王族が逃げ帰った中で戦ったイラクに対する「クウェート国民」としてのレジスタンスだったという。サウジアラビアのシーア派が懐柔されたのも、イラクの脅威が去って、イランの脅威が浮かび上がってきたからである様だ。そうしてみると「国民国家」や「民族」といった西洋的概念が、イスラーム世界でも少数派の防波堤に使われていることが分かる。西洋的「革命」を否定したイランの「革命輸出」を阻止しているのは、やはり西洋式のジハードということになろう。
★★