私家版・ユダヤ文化論
内田 樹
私家版・ユダヤ文化論
この著者も何が専門なのかよく分からなかったのだが、長年ユダヤ研究は続けてきたらしい。とういうことで、相当ディープなユダヤ論となっているのだが、その著者にしても「私家版」と冠さなくてはならないのには所謂PCとしての「ユダヤ議論」と齟齬が生じているからということの様だ。それは『マルコ・ポーロ』事件に代表される様なユダヤ・ロビーの圧力(そういえば同じ文春だ)があるからということではなく、元が大学での講義ノートということが関係しているらしい。つまり公的に話をするが、あくまでも私見に基づくという「言い訳」なのではあるが、なるほど、これは巷に蔓延る「ユダヤに学べもの」、「ユダヤ陰謀もの」「ホロコースト史観もの」「イスラエル批判もの」などとは全く毛色の変わった本である。著者は「差別されるには差別される理由がある」とか「優秀なのは優秀な理由がある」といった悪しき平等第一主義者なら、その問いすら封殺するものを、否定はせず、あえてその疑問の答えを見つけようとする。そしてそれがユダヤ理解の出発点であり、その解答から「ユダヤ人」という「他者」を発見することが可能となる。その発見した「他者」に対する眼差しが「排斥」に向かうか「賞賛」に向かうかの分岐点になる訳だが、要するに肯定も否定も、敬愛も嫌悪も表裏一体のものであることが明らかになる。そうなると、ヒトラーにしてもユダヤを欲していたはずというのはあながち間違いでもなかろう。人々の欲求に「ユダヤ」がある。というのは単純なスケープゴート的な意味ではなく、羨望と嫉妬を内包したものである。ある意味、中韓の反日もそれに似たものあろう。そこに近親憎悪的なものがあることは、欧米社会の「反ユダヤ感情」と同様である。もしかしたら、日本人は「他者」としてのユダヤよりも、内なる「ユダヤ」を理解する方が容易な希有な立場にいるのかもしれない。
★★★