ブランドの条件  | 新書野郎

ブランドの条件 



山田 登世子
ブランドの条件

岩波新書っぽくないテーマだが、ヴィトン、エルメス、シャネルの解剖。著者の略歴には「好きなブランドはコムデギャルソン、香水とバッグはシャネルも」とある。パンピーにとっては、コムデギャルソンもハウスマヌカン並に懐かしい響きがあるのだが、その世界ではブランドとして現役なのだろう。ということで、私の様な人間が読んでもしょうがないところではあるのだが、そんな私でもバッタ屋稼業時代はこの手のものを随分と売ったり、買ったりしたものだ。今は亡き城南電気の社長の例を出すまでもなく、随分と怪しい筋の連中が、進駐軍の横流し品の如く、現ナマを振りかざしていた現場を渡ってきたのだが、今でも変わらない光景が繰り広げられているのだろう。質屋系にしてもドンキ系にしても、そうした体質で商いをやってきた以上、銀座のブランド通りに店を出したところで、それはそれなのだが、売るのが「モノ」なのか「ブランド」なのかという問題は、ハイソなお方たちにとってはゆゆしき問題である。そこで「ブランドをもっていい人、悪い人」という選別が仕掛けられる訳だが、その根拠となるのが、ヨーロッパでは普通のOLや学生が持ったりはしないという「階級闘争」である。そこでパリの直営店に群がる日本人女性に眉を潜めて優越感に浸ったところで、日本人女性で貴族として認めてもらえるのは雅子さんくらいなものだったりもする。これがもっかのところブランドを巡る議論の中心になっていることもあり、著者は「ブランドの条件」をタイトルにすることで、ブランドの本質を見極めろと言いたかったのかもしれない。職人とかデザイナー、模造品の存在といった本質はまあ普通なのだが、日本人がブランド品を持っていいのか悪いのかという答えもちゃんと出している。それは「日本の前にアメリカがあった」ということ。スゲー説得力だ。そうなると「日本のあとに韓国、台湾があり、その後、中国がある」というのも自明のことだ。やがて、それが一周して「階級社会」のヨーロッパに逆上陸する日が来るのかもしれない。
★★