楽しみにしていたバンクーバーオリンピック、ついに終わりました
ホッケーの決勝戦は見逃したけど
、フィギュアのEXは勿論見ましたよ~
安藤さん、お母様が用意されたオーロラ柄の衣装、映えてましたね![]()
演技もとってもしっとりしていて、とにかく美しかった。
レクイエム完成版・・・・前も言いましたが本当に神々しいです![]()
いつまでも見ていたい、終わらないでほしい・・・
そんな素晴らしい演技だったと思います。
こんなに完成度の高い演技をする安藤さんをどうして評価しないのか。
未だ審査員の目は節穴だとしか思えません
まだまだ不満が心の中に居座っている気がしますが、
唯一そんなモヤモヤを晴らしてくれたのが安藤さんの
「スケートをやっていてよかった」の一言。
あの清々しい笑顔とコメントに曇りを晴らしてもらったように思います。
安藤さん、お疲れ様
そして心からありがとう・・・
世界選手権は奇しくもあのトリノ。
成長した姿をパラヴェーラに見せつけてほしいです!
さて、よく世の中には「天才」と呼ばれる人が存在します。
安藤さんも、「天才ジャンパー」なんて呼ばれてましたね。
レベルは月とすっぽんだけど、自分も天才と呼ばれることがありました。
でも、自分自身は「天才」なんてこの世に存在しないと思う。
「天才」って言葉は無責任・無関心に聞こえる。
自分の考える「天才」は「持って生まれた特性・才能を生かすことができた努力家」です。
「天才」と呼ばれる人たちは、他人の想像を絶する努力をしてる。
毎日毎日、したいこと・食べたいものも時には我慢して。
汗や血、涙を流しながら。
それで、どう言っていいか難しいけど、俗に言う「天才」とは
ぴったりくるモノに出会うことができ、そのモノに自分のすべてをつぎ込んで
人とは違う次元に達した人たちのことなんじゃないかと、自分は考えています。
そんなとてつもない努力を無視して、
単に「天才」と片付けてしまうのは、すごく失礼だと自分は思います。
安藤さんも4回転サルコウを飛んだことで天才少女、と騒がれ、
過剰に期待を押し付け・・・・
安藤さんのことを何も知らずに簡単に「天才」という人たちを見ていて、
昔からすごくイライラしていました。
自分も、自分の親が低い次元で争っているのをいつもそばで見ていて、
こんなバカな大人に自分はなるもんか、と思って勉強し始めたのがきっかけでした。
いじめられても、親戚に不当に詮索をされたり妬まれても、
友達だと思っていた人に裏切られても、
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」を胸に努力を積んできた・・・つもり。
「どうせ天才だから苦労なんてないんでしょ」
自分もよく無神経に言われてきましたが、本っ当にわかってないな、と思います。
どれだけ辛い、もう辞めたい、次の勝負(自分の場合は試験)で
負けたら(=いい成績がでなかったら)いっそのこと消えてしまいたい・・・と思いながら
勉強していたことか。
もう競争は嫌だと思い、目標を持たなくなってかなり堕落していきましたがw
マスゴミの見解はどうであれ、自分は安藤さんはフツウの同い年の女の子と見ています。
至ってフツウの女の子がどうして叩かれなきゃいけないの?と。
ただ1点普通の人間と違うことは、自分の特性の凹面にぴったり合うフィギュアスケートという
凸面のパーツと出会うことができ、尋常でないほどの努力をした結果、
才能を花開かせることができたんじゃないでしょうか・・・。
あくまでもこれはbismaの「天才論」ですが、世の中で称賛を集める人を見てきて、
努力+特性・才能=非凡と信じています