ツアコンをしていた頃の話。
まだまだ駆け出しだったころに年末年始のツアーで釜山へ。
そのツアーは一隻の船を貸し切り、乗客+ツアコン=900人前後の大所帯ツアーだった。
3泊4日の日程なのだが、うち2泊は船の中なのでともて安上がりな上、
お正月家族で海外へ行きたい方にはお薦めのツアー。
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さて、お客様にとっては安く海外へ行けるので、お得なツアーと言えるのだが
私にとってはできればアサインされませんよーにと願いたくなるような仕事だった。
というのも、船があまり得意ではなかったので2日間も船の上で過ごさなければいけないのは
苦痛意外の何者でもない。
船に酔ったからといって仕事を休むわけにもいかず。
1隻の船が全てうちの会社のお客様ということもあり、通常の業務プラスしてレストランにもヘルプとして
入らなければならない。気持ち悪くて立っているのがやっとなのに・・・と半泣き状態。
1分1秒が果てしなく感じた貴重?な体験である。
翌朝、8時過ぎから一斉に下船がはじまり、各号車に分かれてプサン観光開始。
韓国旅行のいい所は時差がなく、お箸を使う民族だし、見た目にも西洋人ほどの違和感がないことだろうか。
個人的には何度行っても「また来たい!」と思う国に入る。
実際にツアコンを辞めてからも何度となく韓国には足を運んだ。ま、韓国人の男性とおつきあいをしていたことも
要因の一つだが。
プサン上陸はたったの1日半という過密スケジュールだったせいか、
観光 → 食事 → ショッピング → 食事という日程もあっという間に過ぎていく。
慌しくチェックインを済ませ、なんとか全てのお客様がそれぞれの部屋へ。
各部屋をまわって問題がないか確認を終えたら、やっと自分たちの時間である。
このツアーで一緒になった別の支店の添乗員とも妙な絆ができ、
4人だったということもあり(添乗員同士もそれぞれグループができていた)誰かの提案で
夜の街へ繰り出すことに。
誰一人としてハングルが読めないのにも関らず、英語と日本語、そしてジェスチャーを駆使して
何と韓国の地元の若者たちで賑わうディスコへ。←当時はまだディスコ
お店の中心に一段高くなった舞台があり、所狭しとみんな踊っている。
韓国人の踊り初めて目にしたときにはおかしくて笑いそうになったが、
アルコールも入ると私たちも一緒になって同じように踊った。
そのツアーで溜め込んだストレスを一気に発散させるように踊りまくり。
音楽は国境を越えるというが、きっと踊りも同じだなーと感じた。
コミュニケーションなんてまともにとれなかったが、なぜかとても楽しかったのを覚えている。
きっと何をどのように頼んでいいかわからず、4人ともほとんど韓国のお金を持ってなかったのに、
やたら飲んだり食べたりしていた。
きっと心の優しい誰かが払ってくれたのだろう。感謝、感謝。
・・人差し指を立てて踊っている人が多かったのがとても印象的。当時は流行っていたのだろーか。
未だに謎である。
プサンを出発する朝、現地のガイドさんに「昨日はお部屋にいらっしゃいませんでしたね?」とつっこまれ、
ディスコへ行ってたことを告白すると、しばし彼女の目は点になっていた。
ガイドさんの目を点にさせたのはこれが最初で最後ではないが、
続きは追々。