創世記 第三章

さて主なる神が造られた野の生き物ののうちで、へびが最も狡猾(こうかつ)であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、本当に神が言われたのですか」。女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。




①第三章のいちばん最初に、なぜわざわざ「へびが最も狡猾」だと書いたのでしょうか。

神に近しい者であったが故に、神に背いた事を悔しく思い悲しく思い「最も狡猾」という表現をした。そして、人間よりも先に創造された神に近しい存在であったものは「天使」であり、最も狡猾なへびとは「地に堕ちた天使」という事になるのです。



②本当に木の実を食べただけで追放されたのでしょうか。

→「木の実を食べる」とは比喩表現であり、実際の果実を食べて追放されたのではなく、してはいけない事をしたから追放されたのです。



③なぜへびとエバは会話できたのでしょうか。へびは一体何者なのか。

→へびとは「地に堕ちた天使」の事であり、人間は元々、神や天使と会話をする事ができたのです。エネルギーでの意識の交換は当たり前にできる世界を元々は創造したのです。人間=神=エネルギー体なのです。人間もまたエネルギーが主体の存在なのです。



④アダムとエバは木の実を食べたことで、なぜ「自分たちが裸だ」と気付いたのでしょうか。
⑤なぜいちじくの葉をつづり合わせて「腰に巻いた」のでしょうか。

→アダムとエバは自分たちがまだ未成熟で性✳︎行為をしてしまったこと、神がそれを望んでいなかったこと、目が開ける代わりに、神の願いを理解したのです。ところが時はすでに遅く、本来の輝くような美しい、創造しようとした人間の姿では無くなったことも理解し、「私たちはなんと恥ずかしい事をしてしまったのか」と行為をした腰を恥ずかしく思い、いちじくの葉で隠し、泣きながら神の楽園を後にしたのです。


⑥そして園の中央の木の実とは一体何だったのか。





最後のとんでもない内容、の前に⑥の疑問を解読していきたいと思います。


聖書の中には、生命の木と善悪を知る木の2本が重要な木として登場しています。


「木」とはありますが、これも聖書独特の比喩表現であり、生命の木とは「種を持った成熟した男性」であり、善悪を知る木とは「成熟した感性を持った女性」であるといえます。


生命の木=成熟した男性
善悪を知る木=成熟した女性


園の中央にある木というのは、園とは神の創造した美しい楽園のことですが、その中央に鎮座する木というのは成熟した男女が手を出しても差し支えないものなのです。


園の中央にある木というのは、木ではありません。何度も書いていますが聖書独特の比喩表現なのです。成熟した男女が行うことはお互いを想い愛し合うことです。神のように私たちはエネルギー体の存在ではありません。しっかりとした身体というものを授かりました。


生めよ、ふえよ、地に満ちよ
「天地創造 第六日」


神は私たちにこの身体を使ってたくさんの子孫を残すことを望まれました。この世という物質世界を創造したのはこの為だと言っても良いかもしれません。そのくらい子孫繁栄は神にとって重要なことなのです。身体が衰え無くなることを「死」といいますが私たちがエネルギー体になる過程に過ぎません。


私たちがこの物質世界に産まれて、この身体を持って、今を生きているのは、神の創造意図のほんの一部なのかもしれません。エネルギー体である神が自分と同じエネルギー体の仲間を創造しようとした結果、身体を持つという物質世界を経るストーリーになったのです。


ですがその神の、私たち人間に対する愛おしさは、それを感じた時、心を締め付けられるような深い深い愛情なのです。


私たちが我が子を授かり、待ちに待った出産を迎え、我が子が誕生した時には涙を流して喜ぶように、神もまた涙を流して喜んでいるのです。


性✳︎行為とは本来、そのような喜びの為のものなのです。







園の中央の木


園とは神が願った喜びの現実世界。
中央とは成熟した男女の愛。
その中央にある木になる実とは、まさに神が願った世界を創造する為の最も重要なことである性✳︎行為。


これはファンタジーでも作り話でもなく真実なのです。










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