今年の6月17日(金)に義母が亡くなりました。


義母はうちの家で自宅療養していて亡くなる10分ほど前に義弟夫婦も到着、家族皆んなが集まる中で息をひきとりました。





今年の5月のGWにみんなでBBQをしたりと元気やったのにGW明けに腹痛を訴え病院へ。


胆石と診断されたが何か怪しい影があるので入院して再検査を受ける事になった。


私の会社でも最近、胆石で入院して元気になってる人が2人もいたので義母には『すぐ治りますよ、元気になったら又皆んなでご飯行きましょ♪』などとメールのやり取りをしていました。



しかし数日後、腫瘍が見つかったと主治医から嫁さんに連絡があり話を聞く事になった。



そして癌センターにて精密検査…。



悪性腫瘍で大腸癌、ステージ4、そして余命1ヶ月の宣告を嫁さんだけが聞かされた。

その日、家に帰ってきた嫁さんの悲しみの顔は今でも忘れません。


改めて主治医との話があり、嫁さんが立ち会いながらの本人に宣告する事になった。


余命一ヶ月…。


その晩、嫁さんは家でずっと泣いていた。


どうしようもない現実を受け止めるしかない悔しさと悲しさ…。

こんな事、家族誰もが想像がつかなかった。



その週末に子ども達をつれて家族で石切さんへお百度参りへ行きました。

子ども達の手を取り、お百度ひもを握りしめて祈りました。


それから3日後、一旦退院する事になった。


義母は一人暮らしなので残された1ヶ月を孫3人がいる私達の家で暮らしたいと言ったので、直ぐに来てもらう事にした。


退院した義母は足取りも弱く10日余りの入院でしたが宣告を受けた事もあり心身ともに体力も弱っていました。


最初、私はどう話しかけたら良いのか分からなかった。


しかし子ども達は何も知らないので、ばぁば(義母)が、しばらく家に泊まりに来ると喜んでいたので、まさに子ども達のおかげで楽しい会話が始まり和やかな雰囲気となった。




義母はスナックのお店をしていたので、子ども達が学校と園に行っている昼間に、嫁さんが、お店や義母宅のかたづけを進めていた。



義母は、今日は身体が動けるからと言っては、うちでも掃除や洗濯などして、「ゆっくりしてくださいね」と言っても手伝ってくれる人だった。



又、お世話になったお店のお客さんやお友達にも体調が良い時に会いに行ったりしていた。




義母の故郷の和歌山県から叔母(義母の妹)さんもお見舞いに来てくれて、5日間ほど泊まってくださり、姉妹で色んなお話をしながら、ゆっくり過ごしてくれました。





今、動ける間にと義弟とうちの家族みんなで旅行の計画をすぐに立て淡路島に行きました。



旅館では家族みんなで足湯につかり東海岸から見える義母の故郷の和歌山をゆっくりと眺めた。


 旅館に陶芸体験教室があり義母が子ども達にと参加させてくれました。

子ども達の力作の良いお皿の作品ができたのですが焼き上がりは二ヶ月後との事で、

義母は『出来上がったお皿が見れたらなぁ』

とささやいていた。






 旅行から帰ったぐらいから、日に日に容態が悪くなっていくのが分かりました。痛みが強くなり家族で身体を摩ったりしました。


入院だとコロナ禍でお見舞いにも行けないし、本人は最後まで孫や皆んなと家にいたいと言っていたので通院から在宅治療にしました。


また小学生の娘2人にも、ばぁば(義母)の病気と限られた命の事をきっちりと伝えました。


その間も沢山の人がお見舞いに来てくれて、沢山の思い出話を聞かせてくれました。




ある晩、嫁さんがお風呂に入っている時に義母から『娘はあなたの事をいつも頼りにしているから…娘と子供達(孫)をよろしくお願いね…』と頼まれた。

 一番したの息子が来年小学校に入学する。

『私はその姿は見れないと思うから、入学祝いを先に渡しておくね』と預かった。




それから数日後には、寝たままが続き会話もあまりできなくなってしまいました。




私が仕事から帰ると子ども達も義父もいつもの様に皆んなが居ました。

嫁さんが私に『今日、訪問医療の先生が来て、「後1日、2日です」と言ってた。』と…




そして、その晩、義母は小さい声で嫁さんと息子(義弟)の名を度々呼んでいた。


嫁さんが『もうすぐk介(義弟)が来るからね』と告げた…。


義弟は仕事終わりに奥さんとタクシーで急いで飛んで来た。




ベッドで横になっている義母(母)に『お母さん、お母さん、もう頑張らなくていいんだよ』と義弟は泣きながら頭を撫で始めました。


すると、義母は義弟が来るのを待っていたのか安心して、そのまま静かに静かに家族皆んなに見届けられながら息を引き取りました。



宣告された一ヶ月の命でした。



お義母さんには生前、沢山お世話になり助けてもらった御恩があり、一緒に過ごした日々は忘れる事はありません。



訪問医療の先生には最後までお世話になりました。又、葬儀にいたるまで沢山の方にお世話になり義母も喜んでいたと思います。

支えてくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。



ありがとうございました。