塵も積もれば山なす例え、小さき善行積んで行け | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

塵も積もれば山なす例え、小さき善行積んで行け

神様は不浄をお受けにならない。

神様の御心に背を向け、

私利私欲で成した地位や財産は時に禍の種となり、

片端から幸福は遠ざかって行く。

誰にでも出来るささやかな善事も一つ一つ積み重ねていけば、

安らかなる神様の御かげに身も心も包まれて、

自ずから真の幸福が集まって来る。

(神社のおみくじ神の教より)

 

 

  私なりの解釈

これは、おっしゃる事はごもっともで、そうだろうなぁと納得できますが、

では、実際、自分が実行できているか?と反省すると、私利私欲を捨てきれないというのが正直なところ。

逆に私利私欲が無いなら、地位や財産など欲しがらないと思う。

 

理想的には、世の為、人の為に仕事した結果、地位や財産が得られたという感じだろう。

顧客ニーズに応えた商品が売れて収益が上がるように。

 

だがしかし、顧客が「給料も上がらないし安くラーメン食いたい」と愚痴を言っているのを聞かされ不憫に思って値上げをせずに提供しているうちに、状況が変わり、原材料や光熱費の高騰やら壊れた設備の取替などもあって赤字経営に陥り、借金で首が回らなくなった店というのもある。結果、お金を貸した側や家族が迷惑こうむることになる。

子供がいれば、子供が親の失敗の尻拭いをさせられ人生を犠牲にするかもしれないのだ。

 

また、憐れみを乞うような身の上話をして、お金を騙し取ろうとする詐欺師もいる。

そうした私利私欲にまみれた人に、内心『こいつバカだ、騙すのなんかちょろいもんだ』と侮られていながら気がつかず、素直に同情して貪られる良心的な人を見ると、

私利私欲が無さすぎるのも禍の種。幸福が遠ざかるのではないだろうかと思う。

何事も偏り過ぎは良くない。中庸の精神は大事だ。

 

その上で、不浄な私利私欲で成した地位や財産が禍の種になるというのも、

歴史や現代の事件の報道などを振り返ってみて『確かにそうだわ』と思い当たる節があるものだ。

 

そこで、このおみくじでは、誰にでもできるささやかな善事を積み重ねていけば、

神様の恩恵も受けられ真の幸福がやって来ると説く。

善事、善行は、こちらが不利益・危険になってまでする事じゃなく、

誰にでもできる、ささやかな事、行いで良いのだ。

 

さて、今日はこの「神社のおみくじ・神の教」シリーズ専用のカバー画像をCanvaで作ってみました。元の画像は琵琶湖にある鳥居のようです。