以前にも茅の輪くぐり神事発祥の蘇民将来の伝承を書きましたが、
その舞台となったのが備後国で、現在の地名で広島県福山市新市町戸手という所に
「備後国一の宮 素戔嗚神社」として存在し、その素戔嗚神社公式サイトでも、
備後国風土記逸文から今日に伝わる茅の輪くぐりの起こりについて書かれていました。
『神社のいろは要語集 祭祀編』によると、
『釈日本紀』所収の「備後国風土記」逸文「疫隈国社(えのくまのくにのやしろ)」の条の記事です。
これは暦神神話
素戔嗚尊がのちに蘇民将来の元に連れてきた八柱の御子は方位を司る暦の八将神で、
この説話はインド暦法=宿曜の基幹を成す暦神神話であるのだとか。
明治の改暦に至るまでの日本の暦法の法理には、牛頭天王・蘇民将来の説話を離れては説明できない。
そのインドの暦神が「風土記」の昔において素戔嗚尊と習合しているのは、素戔嗚尊が元々迎年に関わる暦の神としての性格を持っていたからであると思われる。
出雲の須佐神社が節分の日に茅の輪を分け、京都の八坂神社のおけら火が新年の火種として持ち帰られる事などは、その性格を示している。
蘇民将来は呪術用具の名としても知られる
蘇民将来は、むしろ「蘇民将来之子孫也」と記した八角錐の木製の呪具の名として知られている。これを正月に観音堂で分け、あるいは奪い合う行事が各地にあり、
…と、書いてありましたが、私はあまり知らず(笑)、盛り塩を固める木製の八角錐のなら見た事があります。
伊勢のように正月の注連縄にこの文言を記した木札をつける所がある。
…これは、うちの地域では見かけませんが、知ってはいました。