先週から当ブログ内でアクセスの多かった記事が「自分が祭るものだけが神になる」だったのですが、
せっかくですから、もう少し詳しくご紹介すると、神道では
「人間とは、本来、幸福になる為に生まれてきた」
という考え方で、
太陽の光も空気も水も大地も、凡て人間や様々な動植物を元気に育てるために存在している。
ところが、人間の自分勝手な気持ちが厄を作り出して、自然界のバランス、あるべき姿を崩して、様々な厄災を生む。
【厄のあれこれ】
自分で作り出す厄の例
愚痴を言う/一つの事に囚われすぎる/物事を悪い方へ考える/人のやることすべてに腹が立つ
相手から持ち込まれる厄の例
人の愚痴を聞かされる/暗いニュースを聞かされる/誰かに嫉妬されて意地悪される/ついてない人の集まりに行ってしまう/散乱したゴミや動物の死骸などを見て不快な気持ちになる
厄を持ち込まれる相手の例では、しばしば借金を申し込まれる、貸したお金が返ってこない、会うと愚痴の言い合いになる、病気や犯罪の話題を持ち出される事が多い、相手の動きが遅いので苛立つことがある、相手の顔や服装の乱れが気になるなど。
ゆえに、神道の神々は
「幸福になろうと思い立った時から、運は上がりはじめる」
と人々に呼びかける。神詣で・神棚の祭りは幸福になろうと思うきっかけだ。浄く、明るく、正しく、素直な心、熱い心を以って厄を落とす。
自分が祭るものだけが神になる
神道は八百万の神という言葉があるが、一人ひとりに守護神がいるので、これだけでも800万どころか1億2千万余りの神が存在することになる。
人と神が共に暮らす世界観は、あらゆるものが持つ霊魂が全て尊いものとする発想をもとにつくられた。
…という事で、平等な霊魂の集まりから自分が祭るものだけが神になる。
例えば、自分は船乗りだから海上交通安全・交易の神様はお祀りしているけど、林業や服飾業、出産予定も無いので安産・子育ての神様は祀ってないとか、
これまでに亡くなられた方々の中で自分の祖先、祖神様、歴史上の英雄などで思い入れがある人間だった神様は祀るけど、全くの他人だった方の御霊は祀らないなど。
でも、別にその神様を祀っている神社や人々と対立している訳ではない。