『仙境異聞』神誘いにあった者の話 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

仙境異聞の始まりは、文政3年(1820年)10月1日の日暮れ前午後4時ごろ、

筆者の平田篤胤の所へ、幕臣で国学者、塙保己一(はなわ ほきいち)の門人で『群書類従』の編纂を助け、和学講談所の会頭を務めた好事家としても有名な屋代輪池(やしろりんち)翁=屋代弘賢(やしろひろかた)がやって来た場面から。

筆者は「願っても無い誘いの声を掛けてくれた」と喜んでいる。

 

天狗の誘いを受け、長らくその従者になっていた童子が山崎美成(やまざきよししげ)という薬商人の所に来ているから一緒に会いに行きませんか?という事で、喜んで同行するんですが、当時の平田篤胤の住んでいた家が湯島天神の男坂下、向かう山崎さんちは下谷長者町っていう事で、私にとっては馴染みのある上野・御徒町界隈が舞台で『ああ、あの場所で』と入り込みやすい話です。

 

その道すがら話している事も、「昔はあちらの世界の事がこちらの世界に漏れる事を避けていたが、近頃はあちらの世界の事はそれほど包み隠さなくなったようだね。」と屋代翁が言ったと書いてあって、1820年、江戸時代の「近頃」は「昔」なら隠されていた「あちらの世界の話」や今までなら知り得なかった神世の道のこまごまとしたこと、外国の事も年とともに世に知られるようになってきた世相が分かります。

 

あと、その天狗の従者だった天狗小僧・寅吉少年の人相ですが、下三白眼で、顔つきはどこも異相であったと書いてありました。

平田篤胤はその少年の脈を取ったり腹筋みたりもしています。

寅吉は5~6歳の頃から予知能力があって近所の火事や父親の怪我を知らせたり、西方浄土の国々まで行ったとか、曖昧にせず話をする。

 

ところで、その時代は、どこか不思議な世界へ行って帰って来た人の事を「神誘いにあった者」と呼んでいます。

「神隠し」なら知っていたけど「神誘い」って言っていたんですね。

 

それで、どうやって、その異世界に行ったかというと、五條天神って今でも上野にあるんですけど、その界隈で、老人が口の直径約12センチくらいの小壺から丸薬を取り出して売っていて、商いを終えると、その小さな壺の中に前に並べてあった小つづら(かご)から敷物まで全部いとも簡単にしまい込んで、その老人自身もその小さい壺に入り込もうとしていたのだそうです。

もう、今の漫画の世界ですよね。

それで不思議がった寅吉は後日、また五條天神に行き、夕暮れまで老人の様子を見ていたら、老人の方から

「お前も、この壺に入ってみないか?面白いものを色々見せてやろう」と誘って来て、寅吉は薄気味悪くて一旦遠慮したけど、また誘われて、行ってみようという気になって、それから壺に入ったと思うその間も無く、寅吉はとある山の頂に至り着いていた。

その山は常陸国の難台山。天狗の修行場。

だけど、まだ子供だった寅吉は家に帰りたくなって泣いてしまったので、家に帰され、その後、毎日のように五條天神から常陸国の山へと日帰りで往復することになったとか。

 

それから成長し、一度は出家してお寺に入るのですが、色々とあって前世からの因縁があった神道へ。

しかしそれが原因で寅吉は母や兄とは衝突してしまったので、家を出て奉公人になっていたという。

 

とまあ、面白そうなんですが、まだまだ本の最初の方までしか読めていません。