今年、というか昨年末に、新たに崇敬神社の御札として宗像大社の御札を郵送して頂いたのですが、以前、世界遺産に登録され、テレビでも特集が放映されていた事もあり、ご存じの方も多いかもしれませんが、公式ホームページを見ても、神宿る島である沖ノ島には自然崇拝に基づく古代祭祀の変遷を示す遺跡が現代にまで受け継がれています。

宗像大社には、立派な社殿や神宝館が建ち、祈願殿にはモダンなデザインの丸テーブルと色とりどりのチェアが置かれラウンジ風のインテリアになっているのですが、

その祈願殿の素通しガラス越しには玉砂利の庭に柱が2本並んで立って上部に注連縄を渡してあります。

現代と古代が美しく融合している空間ですね。

 

それと高宮祭場(たかみやさいじょう)という市杵島姫神降臨の地とされる空間は、社殿が無い古代祭場の姿を今に伝えています。

 

元来、神社という常設の建物は無く、神霊の降臨する空間だった訳ですね。

そこは人も鳥も獣も踏み込めない禁足地(禁じられた聖地)

 

それが神の聖なる空間と人間の俗なる空間との境に「境木=榊」を四方に立てて、境界の目印とするようになった。

 

古代祭祀では常設の神社は無く、お祀りする時だけ臨時に設営していたそうです。

それが仏教寺院の影響などで社殿が造立され、神霊を祀る為の常設の建物が建てられるようになっていったとか。

 

神社の本質とは、立派な建物じゃなく、神が降臨、占有する聖なる空間そのものの事ですから、その辺、はき違えないようにしないと…。

 

神職でも神前で毎日祈っている割には神々と通じてない人間は少なくないように思うんですよね。

全体的に学校の勉強は出来ても霊力不足の感が否めない。

また氏子のほうは神社を地元民の集会所や祭りのイベント会場ぐらいにしか思ってない人間もいるようなのが残念だ。