おみくじとは

御神籤(おみくじ)とは神仏の意を受けて吉凶禍福・勝敗・当落・順番などを占い、物事を選定する方法の一つとして広く用いられている。忘年会や商店街の「くじ引き」などの習俗としても定着している。

 

  色々な御神籤

 

現代の寺社でも盛んに行われていて、

ガチャガチャでカプセルに小さな縁起物・天然石・ストラップ等と一緒入って出てくるタイプのものや、硬貨を入れると出てくる自動販売機や、

お賽銭箱と真ん中に丸い穴が開いていて、そこに沢山折りたたんだおみくじが入っていて手を入れて選び取るタイプのくじ引き箱がセットになっているタイプのや、

昔ながらの社務所・授与所などでおみくじを頼むと、応対して下さった巫女さんや神主さんが木製の筒を出して、その中に番号を記した棒が入っているので、参拝者はそのおみくじの筒を振って1本だけ筒の穴から飛び出た竹の棒に書かれた番号を言うと、その番号のおみくじを渡してくれるというもの。

あるいはその昔ながらのおみくじの引き方でも、木製筒と1~50ぐらいまでの番号のついた引き出しが置かれていてセルフサービス方式で、棒と同じ番号の引き出しから参拝者が1枚取り出すっていうのも、やった事があります。

で、たまたま、私が引いた時にその番号の引き出しにおみくじの書かれた紙が1枚も無かったので、社務所にお知らせに行ったことがありました。

もっと昔、私の子供の頃には一般庶民の間では竹の棒じゃなくて紙をねじって「こより」をつくってくじをつくる事もありましたね。

その中に当たり外れの印か数字を記しておいて、それらを束にして下の当たり外れの印がある部分を隠すように握って、それらの中から引くっていう方法で。

 

  歴史をさかのぼると謀反の成否を占うのにくじを引いた

 歴史をさかのぼると、古代、亀卜(きぼく)という亀の甲羅を焼いてそのひび割れ方で御神意を占う起源から、『日本書紀』には有間皇子(ありまのみこ)が、謀反の成否を占うのに「短籍(ひねりぶみ)」をとったことが斉明天皇4年11月庚寅条に記されているとか。

『神社のいろは要語集 祭祀編』より引用。

※「短籍」は「短冊」「短尺」とも書き紙片を用いたくじの方法である。

 

そこには西暦で何年か?は書いてなかったので調べたところ、

『歴史道 古代天皇の謎と秘史』に年表がありまして、

658年/斉明天皇4年 有間皇子が謀反の罪で捕らえられ、紀伊国藤白坂で処刑

と、記されていました。 

 

有間皇子が引いた「ひねりぶみ」に記された謀反の成否はどっちだったんだろう?

神意としては「否」だったのに有間皇子が欲望のままに突き進んで処刑されたのか?

それとも…?

 

 

 

  近世に入り遊戯的性格が加わった

 昔はくじは御神意として政治上も重い意味を担い、例えば中世では鎌倉幕府による天皇・将軍の後継者決定でのくじの採用があります。

そのほか、集団の方針・判断の決定、所領・物品の配分、順番決め、グループ分けなどにも用いられてきました。

神意を奉じたくじは、その決定事項が「御神慮」であるとされ、集団や個人に対して強い規制力がありました。

現在のようなおみくじの形態が生まれたのは鎌倉時代の事と言われています。

しかし、近世になるとその重い意味は薄れていき「富くじ」のように遊戯的意味が加わってくるようになりした。

 

  神慮を伺うには和歌の部分を読み解く

 おみくじから神意、神慮を伺うのには、吉凶やら願い事・待ち人・商売などの事象別の項目より、和歌の部分が大事で、実は和歌にこそ神意が込められていて、吉凶判断も事象別判断も和歌から導かれているケースが多いそうです。

寺社によっては和歌ではなく漢詩だったり、現代語で運勢が書かれていたりもします。

『全部わかる神社ガイド』より

 

しかし伊勢神宮では、おみくじが無い。一生に一度と言われたお伊勢参り。

もうそこにお参りに行けたこと自体が大吉であって、おみくじを引く必要が無いからだとか、おみくじは普段からお参りできる身近な神社で引くものだったから。

『伊勢神宮公式サイト』より

  引いたおみくじ

引いたおみくじの扱い方は、凶や大凶など悪かったら境内の指定場所に結ぶのが一般的。

これは江戸時代に始まった風習で、願いが結びますようにと言う意味だった。

そして大吉など良ければ持ち帰るのが一般的だが、吉凶関わらず持ち帰ることもある。

神意が現れたものとして行動指針にし、粗末に扱わず、のちにお礼参りをするなどして納める。

『全部わかる神社ガイド』より

 

  よく振り返って読んでみると

 

 私も今年はおみくじの吉凶に関わらずほとんど家に持ち帰るようにしましたが、

それまでは全て境内の所定の場所に結び付けて持ち帰った事がなかったり、

たまに大吉がでた時や気が向いた時だけ持ち帰ってきたりしていました。

 

そうして持ち帰ってきたおみくじと、これまで実際にあったことなどを振り返ってみると、

意外と実際には大変な時に、同じ番号の大吉のおみくじが複数枚出ていて、当時、一生懸命、励ます言霊を贈って下さっていたご神意が分かりました。感涙です。

 

また、和歌の訳も、そのまま受け取ると厳しく戒めるように書かれていても、それは訳した者の解釈であって、自分に当てはまるとは限りません。

おみくじの和歌を訳した者の言葉に頼らず、自分の心で解釈すると鏡のようです。共感されているの。

 

そして神道では本当に清い心は大切なんだなと思います。

少しでも変に欲を出すと、良い結果は告げてくれませんでした。

 

そんな訳だから、謀反を起こして処刑された有間皇子が引いたくじは「否」の御神意だったんじゃないのかなぁ?と私は思います。

 

ただ、現実的にあんまりおみくじに囚われすぎるのも危険な時もあって、

明らかに周囲の人々が見ても悪い職場で嫌がらせも受けていて「早く辞めたほうが良い」と口をそろえて言っているのに、本人は辞めるかどうかでずっと悩んで、おみくじで「頑張って続けなさい」みたいなことが書かれていたので、耐えなくては…と苦しんでいる、という話をネット上で見た事がありましたが、おみくじは引くたびに結果が変わるし、受け取り側の解釈の仕方が間違っている、ずれていることがあるので、大事な判断を御神籤だけで決めないで頂きたいと考えています。