うしはく【3】 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

「うしはく」とは神の威力を示す信仰的用語である。

我が国日本の国土の各地それぞれに坐す神々が「うしはいて」おり、

そしてその神祇の警固の行き届いた日本全国を

「治(し)らし」「知食(しろしめ)し」たまう天照大御神の御稜威(みいつ)・皇孫の統治に高く広い尊厳性が存在するのである。

 

…と、いうのが『神社のいろは要語集 宗教編』監修・神社本庁による説明です。

 

「うしはく」は「しらす(所知、統治)」という語に含まれている意義ではない。

とも書かれています。

 

この他の捉え方として、

鈴木重胤(1812-1863年)が『延喜式祝詞講義』巻14において、

「うしはく」=その地を我有(もの)として鎮(しずまり)坐(ま)せるを云ふなり。と解し、その地に際限ありてその他に及ばぬ義有り。

「しらす・しろしめす」=はなはだ広くあまねくと説いている。

 

明治時代には統治・政治的な意図からか?井上毅が

「うしはく」=占領の義、権力的な覇道政治を意味する

これに対して

「しろしめす」「しらす」=優秀な政治を意味する、王道政治、我が国の『皇祖伝来の御家法』

と解釈して、

この説が、その後多くの知識人に影響を与え「しらす政治」の行われるところに日本の国体観があるという見方が定着する。

それはまた「うしはく」という思想を、非民主的で権力的な政治形態を表現する語であるかのような風潮を作り出してしまったらしい。

 

そんな訳で

そんな訳で、明治時代に「うしはく」は、どうも政治的、統治戦略的に都合の良いように解釈をされて、それを元に誤解をされた経緯があったようです。