斎戒について興味深い見解が『神社のいろは要語集 祭祀編』に書かれていました。

斎戒とは、祭祀を行う前に心身を清浄にするための心意的・行動的な慎みの状態のことで、万葉集の歌にも「新嘗祭で夫を外に出して潔斎しているのに誰かが家の戸を音を立てて押している、誰でしょうか?」という意味の歌が見られ、『日本書紀』にも神武天皇や崇神天皇が祭祀の前に斎戒してることが記されているそうです。

 

斎戒の制度については「大宝令」によって定められたのが初めで、

とにかく古くから神を迎える祭りの前には慎み、清浄へと至るために、祭祀者は六色の禁を守ったとありました。

その内容の中に、音楽を作らない(おこさない)っていうのがあって、私は疑問に思いました。

さすがに現代の斎戒規定ではそれは無いですが、

昔だって、例えば出雲の大国主命の息子である事代主命の妻・美保津姫命は琴の名手だったから音楽関係の神様として現代でもお祭りされて楽器奉納していると聞きましたし、

あの仲哀天皇と神功皇后が神のお告げを聞く時にも、武内宿禰が降霊の為に琴を弾いたのではなかったっけ? 

 

それから、聖なる神と交流する条件に至った人間は、日常へ復帰する為の斎戒、つまり解斎(げさい)の過程をとる必要があった。

直会(なおらい)もそれにあたる。

 

斎戒の方法としての禊(みそぎ)は水によって浄化されるのに対し、

祭祀的非日常世界から歴史的日常世界へ復帰する時には、

火を共通にすることによって可能となる。

 

斎戒にあたって死や出産を忌むのは、その穢れを火が媒介するという観念に基づいている。

同じ火によって調理された食べ物を共食するということは死やお産の穢れを共通にしたことになる。

火は非日常を日常へと転換する力を持っている。

 

との見解がありました。