《御神徳》勝利・成功の神々

かつて武運長久の御神徳のある武神・軍神と言われていた神々が、現代ではスポーツ・武道での勝利や刀剣、事業の成功、あるいは地元の農業や漁業など産業振興の神となっていますが、今回そうした御神徳の神々をまとめてご紹介します。

 

天手力男神

(あめのたぢからおのかみ)

 天岩戸神話で、天照大御神が閉じ籠ってしまわれた戸をこじ開けて投げ飛ばし、その一部が飛んで長野県の戸隠山になったという伝承が戸隠神社の公式サイトで紹介されていました。

ですから、ものすごい力強さの御神徳があると思われます。

私は長野の戸隠神社にはお参りした事がなくて、

いつも東京の湯島天神にある戸隠神社にお参りしていますが、

病気や家庭の問題などで心が傷つき沈んで暗くなった時にお参りして、その後、事態が好転していった事もあったので、

神話でも太陽神・天照大御神が閉じ籠ったことで世の中が真っ暗になってしまったように、人の心が暗くなった時に明るさを取り戻すきっかけを与えて下さる御神徳なんじゃないかなぁ?と勝手に信じています。

スポーツなら砲丸投げだとか遠くに投げ飛ばす競技向けかしら。

 

 

武御雷神

(たけみかづちのかみ)

建御雷、武甕槌と書く事もある。茨城の鹿島神宮の主祭神で春日大社などにも祀られている。

「国譲り」を成功に導いた武神。「神武東征」では、高倉下を通して神武天皇に剣を与えるなど国家鎮護・武芸・成功・勝利などの御神徳がある。

鹿島神宮の創建は約2670年前の神武天皇即位の年と社伝にて伝わる。

かつては太平洋に臨む立地から「航海を司る神」、また「境の神」として地域への邪霊の侵入を防ぎ疫病神を送る信仰もあった。

経津主神

(ふつぬしのかみ)

千葉県の香取神宮の主祭神。

不思議な事に『古事記』には登場しなくて、『日本書紀』では「国譲り」で建御雷神と共に出雲に赴き国譲りを成功させ、国内を巡り荒ぶる神々を平定した。国家鎮護・武道・剣の神

香取神宮のある地域は、中世まで今では想像できないくらいの内海が広がっていて舟の交通の拠点だったので、漁業・舟運・航海の神としても信仰されました。

 

大和朝廷の時代から香取・鹿島の地は東国開拓・経営の拠点とされ、奈良時代に春日大社が創建される時には鹿島大神が勧請されて、平安時代には伊勢の神宮を除いては両宮のみが「神宮」と号されました。

武家政権になると武神として歴代将軍から武芸者まで篤く崇敬されました。

今でも武道場に祀られていることがありますね。

 

 

建御名方神【諏訪明神】

長野県の諏訪大社の主祭神。

『古事記』によると、「国譲り」で建御雷神に抵抗し、力比べをして敗走し、信濃の国の諏訪湖まで退いて服従し、この地を出ないことを誓いました。

鍛冶(製鉄)の神でも水の神、狩猟の神、風の神でもあり、中世には多くの武将からも崇敬され、『日本第一大軍神』とも称されました。

甲斐の国(今の山梨県)の武田信玄は戦勝祈願をして同社の幟をたてて出陣しました。

その他、農耕・開拓の神として幅広い御神徳を有した為各地で勧請されました。

 

 

八幡神・三嶋大明神・東照宮・高麗神社

そして源氏再興から武家政権の広まりによって三嶋大明神が旗揚げの神、八幡神も国家鎮護・武運長久の神となり、

徳川家康を祀る東照宮も出世や成功の強運など、

高麗(こま)神社は渡来人の高麗王・若光を祀り近代に入って参拝者から歴代首相や最高裁長官、検事総長などを輩出し「出世明神」と呼ばれるようになりました。

 

 

  私が思うに

 今年は三嶋大社にお参りする機会がありました。

源頼朝も伊豆に流されて三嶋大明神に何度となくお参りして旗揚げの機会が巡ってきて、念願叶った後にはちゃんとお礼にお参りしてその後も篤く崇敬していたようです。

それで私が思うに勝利・成功の大願成就って…

ただちょくちょくお参りしてお願いし何か奉納すれば叶うわけじゃなくて、誰かと争って勝つ、優位に立つ、他を攻めるような願い事には、こちらに正義があるとか、世直しの決意をしたとか、万民の生活を豊かにする為にこの事業を成功させたいとか、長きに渡る屈辱の日々から脱したい!というような願いじゃないと、御神徳はなかなか得られないんじゃないかなと思いました。

 

誰かに勝つということは、勝利の反対側には誰かが負けて泣いたり傷ついたり、昔なら本当に命を奪う事だったりしたのですから、それ相応の理由のほうが、お参りの回数や奉納より重要だと感じた次第です。

 

私の経験上は(あまり詳しい事は言えませんが)対人関係で困り、現実的な行動ではどうにもできなかったので神仏に祈ったところ、相手側のうち2人が病気で亡くなり、他の人達は、なかなかしぶといけど足腰が悪くなったり病気で入院などして徐々に痛みを知って大人しくなってきましたね。

やはり現代でも、敵対する誰かに勝つって願い事は相手の命を削る呪術なのかもしれない。